
発行所:東京大学出版会
発行日:2025/04/12
公式サイト:https://www.utp.or.jp/book/b10124135.html
18世紀半ば、ドイツの作家・思想家であるレッシング(1729-81)は、紀元前40〜50年頃に制作されたと推定される《ラオコオン群像》について一書をものし、いわゆる「ラオコオン論争」の火蓋を切った。レッシングはこの彫像を、同じ題材を扱ったウェルギリウスの叙事詩と比較しつつ、文学と視覚芸術の限界をそれぞれ明らかにすることを試みた。その結果、レッシングの『ラオコオン』(1766)は、近代における「詩画比較論(パラゴーネ)」の範型とみなされることになり、後世にも多大な影響を与えることとなった。
丁乙(1993-)による本書『二十世紀中国美学──『ラオコオン』論争の半世紀』は、20世紀における中国美学の展開を、この『ラオコオン』の批判的受容という視点から論じたユニークな書物である。副題にある「『ラオコオン』論争」というのも、先述した18世紀ドイツにおけるそれではなく、20世紀中葉に生じた中国における「『ラオコオン』論争」を指している。以下では、このようなアプローチを通じていったい何が明らかになるのかという視点から、本書の内容を紹介していきたい。
レッシングの『ラオコオン』は、先述のように「詩画比較論」──さらに一般的に言うなら、芸術諸ジャンルの共通点と相違点を明らかにすること──を試みた古典的な著作である。では、なぜその受容と論争の歴史を追跡することが、20世紀における中国美学の展開を明らかにすることにつながるのか。それは、西洋由来の美学の諸言説のなかでも、この詩画比較論こそが中国の芸術的伝統に通じる問題を提起していたからである。そして『ラオコオン』こそは、中国における詩/画の同一性ないし異質性をめぐる論争に、ひとつの格好のモデルを提供した書物だったからである。
具体的に見ていこう。本書では中国近代美学の成立に寄与したとされる三人の人物、すなわち朱光潜(1897-1986)、宗白華(1897-1986)、銭鍾書(1910-98)が中心に論じられる。このうち銭鍾書だけがやや下の世代に属するが、著者は中国近代美学の第二、第三世代に属するこれらの人物が活躍した1920年代から60年代を中心に議論を進める。各章は朱光潜、宗白華、銭鍾書についての個別的な研究といった趣だが、そこでいわばプリズムの役割を担うものこそ、さきほどから話題にしている『ラオコオン』なのである。そもそも、中国近代美学における最重要人物のひとりである朱光潜は『ラオコオン』の中国語訳者であり、その長いキャリアのなかでも一貫してこの著作を重視していた。そして、宗白華や銭鍾書といったほかの理論家もまた、しばしばレッシングの議論を大いに参照しつつ、中国における「詩画同質説」──ないし「詩画異質性」──についての考えを披露していた。さらに、本書はこの三者だけでなく鄧以蟄(1892-1973)、呉宓(1894-1981)、方東美(1899-1977)といったさまざまな論者にふれながら、20世紀の中国における『ラオコオン』受容を包括的に論じる。他方、本書がたんに中国におけるレッシングの受容を機械的に整理したものではなく、「気韻生動」をはじめとする伝統的な概念がこれを通じていかに近代化されたか、といった話題にも目をむけていることは特筆しておきたい。
以上のように、本書は『ラオコオン』というひとつのテクストを軸に、20世紀の中国における美学の成立を論じ切った独創的な論文である。いわゆる編年体ではなく、『ラオコオン』をプリズムとして「二十世紀中国美学」の生成過程を追跡していくそのプロセスは、きわめてスリリングなものだ。
執筆日:2025/10/14(火)