会場:犬島[岡山県]
公式サイト:https://benesse-artsite.jp/art/inujima-arthouse.html

瀬戸内海に浮かぶ外周3.6kmの小島・犬島は、かつて花崗岩の採石と銅の精錬で栄え、産業由来の開発跡地と豊かな自然が共存する場所である。この島は福武財団が主導するアートプロジェクトによって空き家や空き地を改修し、景観保全と地域再生、鑑賞客が共存する空間へと生まれ変わっている。古くは日本各地の築城や神社に用いられた御影石の産地として発展し、近代化の潮流とともに銅の精錬業が盛んとなった犬島は、最盛期には約3000人が暮らす産業島であった。こうした土地の歴史を引き継ぎながら、長谷川祐子と妹島和世が手がける「家プロジェクト」(2010〜)は、現在では30名に満たない島の住民とともに、住宅地や空き地に展示空間を導入し、日常生活と現代美術が交錯する新たな風景が形作られている。

プロジェクト初期からある石山の麓に設置された透明なパビリオン《S邸》は、連続するアクリルの曲面が緩やかなカーブを描き、周囲の景観を映し込むように設計された。この空間で展示されている荒神明香《コンタクトレンズ》は、大小の無数のレンズ群が風景を歪ませ、日常風景にわずかな異化をもたらしている。《S邸》から山道を進むと現れる《中の谷東屋》は、勾配に沿って設けられた休憩所で、座ってみると建物の有孔屋根から差し込む木漏れ日や、時間の流れ、島の環境そのものをゆっくりと知覚させる。 さらに《F邸》や《C邸》では、既存建築を解体・使用可能な部材を組み替えながら再構成することで展示空間を生み出す実験的なアプローチが続いている。《F邸》は名和晃平による《Biota(Fauna/Flora)》が収められた本屋と庭先を生命のエネルギー相として見立て、段階的に展示空間が変わり拡張し続けている。2棟分の敷地を統合して産まれた《C邸》は作品の入れ替えを通して循環するよう可変的に機能しており、現在は半田真規による花の彫刻が展示されている。


《C邸》[筆者撮影]

「家プロジェクト」のアーティスティック・ディレクターである長谷川祐子は、この一連の取り組みに「桃源郷」というテーマを与えている。日常生活の延長線上に、人々の意識が交わるユートピアのような場所を構想したこの理念は、今年新たに設立された妹島とガーデンデザインユニット「明るい部屋」が協働して設立した《犬島 くらしの植物園》へと受け継がれている。 この植物園は、島内に残されていたガラス温室を改修し、ファッションブランドPRADAの寄贈を受けて設立されたものである。「明るい部屋」は家プロジェクトをきっかけに島全体の植生を管理し、移住を機に実験的で豊かな植生が広がる植物園の運営を担っている。施設内に新設された《HANA》は、ステンレスの鏡面曲面を持つ二つの花弁状のパーゴラであり、周囲の風景を映し出す装置としても、人々が自然とともに過ごすための居場所としても機能している。その周囲で行なわれるワークショップや庭の手入れを通して、島民と来訪者がともに自然と共生する実験的な場が育まれている。こうした犬島における一連の建築と現代美術による環境の手入れは、衰退する集落のなかで自然と人間の関係を再考し、島全体を美術館のように見立てながら日常空間と展示を隔てなく往還させる新しい生活を提案している。


《犬島 くらしの植物園》[筆者撮影]

鑑賞日:2025/09/08(月)