
会期:2025/10/04~2025/10/05
会場:ロームシアター京都 ノースホール[京都府]
公式サイト:https://kyoto-ex.jp/program/mark-teh/
16回目を迎えるKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2025。プログラム前半は、「歴史、記憶、アーカイブ、国家」について重層的に問う秀逸な作品が並んだ。マーク・テ/ファイブ・アーツ・センター『トゥアの片影』、ターニヤ・アル゠フーリー & ズィヤード・アブー・リーシュ『電力と権力を探して』、そして筒井潤『墓地の上演』の3作品を順に取り上げる。
公に語られずにきたマレーシアの現代史に光をあてる『Baling(バリン)』以来、9年ぶりにKYOTO EXPERIMENTで上演するマーク・テは、マレーシアのアーティストやアクティビストによるコレクティブ「ファイブ・アーツ・センター」のメンバーでもある。『トゥアの片影』の主題となるのは、マレーシアの伝説的な英雄「ハン・トゥア」。15世紀にマレー半島で海洋貿易の中継地として栄えたイスラーム教のマラッカ王国で、君主スルタンに海軍提督として仕え、忠誠心や武勇に優れた人物とされている。マラッカ王国は1511年にポルトガルに占領されて滅亡したが、スルタンを頂点とする政治機構など現代のマレーシア国家形成に影響が深い。マレーシアは、マレー人、華人、インド系などで構成される多民族国家だが、1957年の独立から2018年まで、マレー系住民の権利保護を重視する保守政党が長期にわたり政権を握ってきた。その統治を正当化するマレー民族主義のシンボルとなったのが、「ハン・トゥア」である★。
本作は、「ハン・トゥア」のイメージが、国家アイデンティティの形成にいかに関わっているかを、テキスト、映像、ネット上の情報、楽曲とマルチメディアを駆使して解き明かしていく。語り手として登場するファイク・シャズワン・クヒリは、学校の遠足でマレーシア国立博物館を訪れた際、イスラーム圏では珍しい巨大なハン・トゥアのレリーフ像を見た記憶について語り始める。だが、この像自体、「男らしく気骨のある戦士」として理想化するため、彫刻家が兵士2名をモデルに顔を合成し、より精悍に見えるよう修正を加えたものだった。
このエピソードが示すように、ハン・トゥアは、マレー民族主義的なナショナリズムの象徴として繰り返し物語に登場する「千の顔をもつヒーロー」であることが語られていく。「ハン・トゥアの物語」とは、さまざまな物語や英雄像の合成・コピーからなる作者不明の人気作品である。独立前夜に公開されたカラー映画では、親友を殺すよう王に命じられ、忠誠心か友情を選ぶかという苦悩のヒーロー像が描かれた。また、道路、スタジアム、橋、大学、ショッピングモール、カフェなど至るところにハン・トゥアの名前が冠せられている。グーグルマップ上だけではなく、マレー民族主義者のアイコンとして、ハン・トゥアの互いによく似たアバターがSNSに増殖している。ハン・トゥアの実在を証明しようとする大学教授たちが刊行した本は、副首相など政界に後援者がいる。「実在の証拠」として、沖縄で出土した短剣が、「ハン・トゥアがスルタンからの贈物として琉球王国に持ち込んだ」とされている(波打つ刃の形が特徴的な短剣で、王や戦士の象徴物である)。マレーシア政府は、巨額をかけたハン・トゥア・センターの改修後、大々的な展示を開催したが、世界中から集めた写本の展示はデジタルコピーであり、沖縄で出土した短剣もレプリカだった……。
[撮影:守屋友樹 提供:KYOTO EXPERIMENT]
調べれば調べるほど、虚像のなかへと拡散していくハン・トゥア。作中、書籍や映画に加えてミュージカルにもなったことが語られるが、本作の構成自体、ウクレレの弾き語りなど、冒頭からラストシーンまで複数の楽曲で彩られる。また、パフォーマーのクヒリ自身、「私はストーリーテラーです」「『Baling(バリン)』にも出演したパフォーマーです」「メディア業界で働くコンテンツクリエイターです」「シンガーソングライターです」と、シーンの展開に応じて複数の肩書きを名乗る。「ハン・トゥア」という強固で民族主義的な国家アイデンティティの解体と同時に、その
[撮影:守屋友樹 提供:KYOTO EXPERIMENT]
ハン・トゥアの物語とは、互いが互いの鏡像やコピーであるような無数の変異体の集合だった。そもそも、最古の物語の写本は1758年のもので、マラッカ王国がポルトガルに降伏して約250年が経過しており、ハン・トゥアはすでにノスタルジーの対象と化していた。世界各地に残る写本は、彼の実在を証明するものではないが、それでも、手作業で紡がれてきた異なる筆跡による写しは確かに存在する。ラストシーンでは、それらの写本の筆跡が光の文字となって、暗転した舞台を波のように覆う。それは、短剣の波打つ形であり、マラッカ王国と琉球というかつての海洋国家を結ぶ海の道であり、実体がないまま情報の網の目がどこまでも拡散して世界を覆うさまを可視化する。あるいは、物語ることへの欲望と記録することへの情熱が、時間や空間の境界が溶け合った巨大な生物となって呼吸を繰り返すような、美しい時間だった。
[撮影:守屋友樹 提供:KYOTO EXPERIMENT]
★──山本博之「ハン・トゥアとは誰か─マレーシア国民的英雄の多面性」https://kyoto-ex.jp/magazine/mark-teh/
関連レビュー
YPAM 2022 ファイブアーツセンター『仮構の歴史』|高嶋慈:artscapeレビュー(2023年01月15日号)
シアターコモンズ ’18 マーク・テ/ファイブ・アーツ・センター「バージョン2020:マレーシアの未来完成図、第3章」|高嶋慈:artscapeレビュー(2018年03月15日号)
KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN マーク・テ『Baling(バリン)』|高嶋慈:artscapeレビュー(2016年12月01日号)
鑑賞日:2025/10/05(日)