今回の「美術遊歩」では、全国の芸術祭をめぐります。コロナ禍の自粛期間で打撃を被ったとはいえ、今年も新しい芸術祭が登場しています。まさに芸術祭の実る秋。村田真さんの目をとおして、21世紀のアートシーンのメインステージのひとつについて考えてみたいと思います。(artscape編集部)
いまや「どこでも芸術祭」
この秋、全国各地で芸術祭が開かれた。まずは主なものを列挙してみよう(名称末尾の「2025」は省略/「芸術祭」と称していないものも含む)。
⚫︎Study:大阪関西国際芸術祭 4/11-10/13 大阪・関西万博会場内+大阪文化館・天保山(旧サントリーミュージアム)ほか
⚫︎神戸六甲ミーツ・アート beyond 8/23-11/30 神戸市・六甲山
⚫︎黄金町バザール+上大岡バザール 9/11-10/13 横浜市・黄金町+上大岡
⚫︎中之条ビエンナーレ 9/13-10/13 群馬県・中之条町
⚫︎GO FOR KOGEI 9/13-10/19 富山県富山市+石川県金沢市
⚫︎国際芸術祭あいち 9/13-11/30 愛知芸術文化センター+瀬戸市
⚫︎くどやま芸術祭 9/14-10/26 和歌山県・九度山町
⚫︎さどの島銀河芸術祭 9/19-11/9(秋期) 新潟県・佐渡島
⚫︎千葉国際芸術祭 9/19-11/24 千葉市街
⚫︎BIWAKOビエンナーレ 9/20-11/16 滋賀県近江八幡市
⚫︎六本木アートナイト 9/26-28 東京都・六本木界隈
⚫︎岡山芸術交流 9/26-11/24 岡山市街
⚫︎瀬戸内国際芸術祭 10/3-11/9(秋期) 瀬戸内海の島々
⚫︎ひろしま国際建築祭 10/4-11/30 広島県福山市+尾道市
⚫︎ MEET YOUR ART FESTIVAL 10/10-13 東京都・天王洲運河一帯
⚫︎道後温泉DOGO ART 10/10-2027/2/28 愛媛県・道後温泉地区
⚫︎東京ビエンナーレ 10/17-12/14 東京都千代田区+中央区+文京区+台東区
⚫︎種子島宇宙芸術祭 11/8-24 鹿児島県・種子島
ざっと数えて20近くある。芸術祭は2、3年にいちどの開催が多いので、総数はこれの倍はあるだろう。しかも年々増えているのだから、まさに芸術祭の花盛りである。
ここまで増えると、個人では半数も見ることができない。今回ぼくはがんばって見に行ったが、それでも8つだ。なにしろ佐渡島から種子島まで全国に広がっているうえ、開催時期も10月前後に集中しているので、よほどカネとヒマのある人でなければすべてを見るのは不可能なのだ(全部見る必要もないけどね)。
なぜいま芸術祭なのか? いつから芸術祭ブームは始まったのか? そもそも芸術祭とは何なのか? いくつかの芸術祭をレポートしながら考えてみたい。

瀬戸内国際芸術祭 ジャウメ・プレンサ《男木島の魂》[筆者撮影]
瀬戸内国際芸術祭
瀬戸内海の小豆島へ
芸術祭のなかでも開催エリアの広さ、作品数、来場者数など最大規模を誇るのが瀬戸内国際芸術祭である(以下、瀬戸芸)。2010年から3年に一度のトリエンナーレ方式で開催され、今年で6回を数える。初回以来、総合プロデューサーは香川県の直島にベネッセアートサイトを築いた福武財団名誉理事長の福武總一郎氏、総合ディレクターはアートフロントギャラリーの北川フラム氏が務めている。
今年も香川県および岡山県の瀬戸内海に浮かぶ11の島々と6つの沿岸部を舞台に、旧作も含めて200件を超える作品を展開している。会期も春・夏・秋の3期に分けて開催するため、季節によって見られない作品もある。したがってすべての作品を見た人はおそらく(北川フラム氏を除いて)いないのではないか。
ぼくは12年ぶりの訪問になるが、丸3日間の滞在で全17エリアのうち小豆島、女木島、男木島、高見島、本島の5島に、高松港と宇多津を加えた計7エリアを回ったに過ぎない。人気の高い直島と豊島を避けたのは超混雑が予想されたからである。なにしろ過疎化の進む島々だから、フェリーや島内のバスの本数は期間中増便しているとはいえ限られているので、1日1島か、小さな島でもせいぜい2島が限度なのだ。
最初に向かったのは、高松からフェリーで約1時間の小豆島。このときは友人の車に同乗させてもらったため島内を一周することができたが、バスを乗り継いでいたら半分も見ることができなかっただろう。
島の玄関口である土庄港に着くと、韓国のチェ・ジョンファによるオリーブの王冠をかたどった巨大な黄金色の彫刻が迎えてくれる。オリーブはそうめんや醤油と並ぶ小豆島の名産品だ。街なかを行くと、一軒家の内部を丸ごとかまくらのように白い樹脂で覆った目[mé]の作品に出くわす。同様の作品は別の芸術祭でも見たことがあるが、場所も建物も異なるのでまた違った楽しさがある。この2点は旧作だ。
同地区で新作は、長澤伸穂とカンボジア出身のソピアップ・ピッチによる2点。長澤の作品は、暗い倉庫内に光ファイバーを編み込んだ小舟を置いたインスタレーションで、なかで横になることができる。ピッチは、遠景の山並みの輪郭に沿って成形した金網を空き地に置いたもので、借景ともいえる作品だ。
以上の4点にすでに瀬戸芸の、いや芸術祭全般の作品を性格づける特徴が示されているように思える。すなわち、その地域ならではの文化や産物を素材・モチーフとする、過疎地にありがちな空き家や廃校を作品化したり展示場にしたりする、島々の地形や景観を作品に採り入れる、などである。つまり参加アーティストはすでに制作済みの作品を持ち込むのではなく、瀬戸内に来てどのような場所であるかをリサーチし、その場所ならではのサイトスペシフィックな作品を制作したということだ。それゆえこれらの作品は、この場所まで足を運ばなければ見られない唯一無二のものなのである。
長澤伸穂《うみのうつわ》小豆島(2025)[筆者撮影]
少し内陸に入ると、豊福亮と岡淳+音楽水車プロジェクトによる新作インスタレーションがある。どちらも古びた空き家を使った作品だが、豊福は屋内の壁を黄金の装飾で覆い、床を掘って水を張りボートで回遊できるように改造するなど別世界を築き上げている。一方の岡は空き家のたたずまいをそのまま残しつつ、農具や歯車などを用いて音の出る装置をつくって公開した。対照的な空き家の使い方だが、後者が岡の曽祖父が製粉所として使っていた家だったと知って納得する。
南端の三都半島には9点が集中しているが、いちばん感心したのが田中圭介の作品だ。木造家屋に木彫を介入させ、木から建築へ、建築から再び木へというサイクル―リサイクルを視覚化してみせた。同じく木彫で、空き家から巨大なヤドカリが上半身を出す尾身大輔の旧作は、ロケーションもサイズ感もほどよく、ヤドカリが空き家を借りるという見立ても痛快だ。さらに東へ進んだ草壁港にも木造船に網目模様の彫刻を施した木戸龍介の作品がある。まるで船体にへばりついたフジツボかアメーバのように不気味だが、その幾何学的パターンは伝統的な和紋に見えなくもない。たまたまだが、木彫の力作が続いた。

田中圭介《Utopia dungeon〜a Tale of a Time〜》小豆島[筆者撮影]
おっと、小豆島だけでけっこうな字数を費やしてしまった。先は長いので急がねば。
女木島と男木島
瀬戸芸の起点となる高松からもっとも近い島が女木島、次いで男木島になる。高松から見れば直島や豊島の手前に位置するのにそれほど混雑していないのは、観光スポットとなる美術館がない小島だからだろう。その意味で穴場といっていい。
高松港から船で約20分の女木島には、港周辺のほか山の上の洞窟内にも作品がある。この洞窟、20世紀初めに発見されると鬼の棲家として桃太郎の鬼ヶ島伝説と結びつけられ、鬼ヶ島大洞窟と呼ばれるようになった。その洞窟内に壁画を描いたのが村山悟郎だ。先史時代の洞窟壁画と違って、村山の壁画は鳥の羽か花弁のような抽象パターン、あるいはこの島特有の柱状節理にヒントを得た六角形の連続体。こんなところに描いちゃっていいの? と思うが、洞窟内には鬼や桃太郎のハリボテがあっちこっちに置かれ、残念ながら神秘性がまるでない場所なのだ。
港の周辺では休校中の小学校と民宿だった建物に作品が集中しているが、見応えのある大作は一軒家に多い。倉庫を丸ごと映画館に仕立てたのは依田洋一朗だ。1階には依田自身が描いた往年の映画スターの肖像画を飾り、2階では座席を設けて名画を上映するという。また、アルゼンチンのレアンドロ・エルリッヒは例によって空き家の内部を大改造し、鏡像と現実空間が錯綜する巧妙なトリックアートを制作した。これら2点は地域性とは無縁ながら楽しめる作品だ。
少し離れた空き家では、小谷元彦が前回から鬼ヶ島伝説にちなみ《こんぼうや》として木彫の棍棒などを展示していたが、今回は顔に鏡をはめた立像を加えた。島の伝説からの発想といい空間の使い方といい作品の強さといい、圧倒的な存在感を示していた。

小谷元彦《こんぼうや》女木島[筆者撮影]
女木島から船で約20分、男木港に着くとスペインのジャウメ・プレンサによるチケット売り場と待合室を兼ねた白い屋根の建築が目に入る。男木島には平坦な土地が少なく、集落が斜面にへばりつくように立ち並び、道も狭く階段も多い。その迷路みたいな細道を歩いていると、眞壁陸二が民家の壁にカラフルな装飾を施した作品に出くわす。これは第1回からあるもので、いまや男木島の風景の一部に溶け込んでいるようだ。
港に近い元商店の内壁全体にドローイングを施したのは村山悟郎。2階では貝殻の模様から抽出した幾何学パターンを展開していて、女木島の洞窟壁画と合わせ、図というものの起源を探っているかのようだ。集落の上のほうでは大岩オスカールによる2点の作品が見られる。ひとつは和室を90度回転させたトリックアート、もうひとつは坂茂による建築の3枚のガラス窓にタコや魚、フェリーなどを描いたもの。これも3枚を重ねると1枚の絵が完成するというトリックだ。どちらも旧作ながらきれいに保たれている。
高見島、本島、宇多津へ
今度は西側の高見島へ。瀬戸大橋より西のエリアは秋期のみの開催だ。高見島へは多度津港から船で約25分。この島での展示は前回まで京都精華大学の有志により実施されてきたが、今年からBankART1929(以下、BankART)が引き継ぐかたちとなった。高見島は人口約20人という過疎の島。ということは空き家がたくさんあるということであり、それは裏返せば作品の制作と展示にはもってこいの場所ということでもある。BankARTはそこに7組のアーティストを投入し、細い坂道をたどって作品を巡る「アートトレイル」を設定した。
たとえば、淺井裕介は島の土を混ぜてつくった大きな幻獣の焼きものを廃屋に鎮座させ、トレイルに沿って木や建物に小動物のような焼きものを置いている。まるで島の精霊だ。谷本真理は島にあるさまざまなモチーフを描いた陶器を展示するほか、石垣の隙間に小さな陶器を忍ばせた。保良雄は廃屋に井戸を掘り、その周囲に12個の電球を円状に吊るして光を明滅させた。かつて島で行なわれていた12人の踊り手による儀式に想を得たという。身内のぼくがいうのもなんだが、長年作品制作と展示に携わってきたBankARTだけに、場所とアーティストのマッチングや空間の使い方は卓越している。

保良雄《おりおりる》高見島[筆者撮影]
高見島から船で約30分の本島へ。ここでは2つの集落に作品が分散しているため、レンタサイクルで回ることにした。あいにく小雨模様だが、バスを待つより効率がいい。港に近い泊集落では、タイのジャッガイ・シリブートが地域の人たちから集めた古着を縫い合わせて大きなタペストリーを制作し、古民家に吊るしている。集落を歩くと、数軒の民家の軒先に設置した円形の漆喰の鏝絵が目に入る。村尾かずこによる旧作だ。
もう一方の笠島集落へ行く途中の体育館には、コタケマンによる縦横5メートルの巨大な抽象絵画が5点並んでいる。これはなんだろうと思ったら、港の広場に大きな布を敷き、そこに子どもたちと一緒に絵を描いて分割したものだそうだ。
笠島集落の空き家では、ロシア出身のエカテリーナ・ムロムツェワが幻想的な影絵を見せている。花を思わせる有機的形態をガラス板に描いて光を当てたもので、走馬灯のように回るものもある。藤原史江は石を採取した場所の風景を、その石をサンドペーパーに擦って描いた絵画を展示。我が身を削って描いた石の自画像か? 古い家並みを歩いていると、脇道からシャボン玉が流れてきた。遠く離れた志度エリアに設置した筧康明の装置にだれかが息を吹き込むと、シャボン玉が発生する仕掛けだそうだ。
本島から高速船で丸亀に出て、電車で宇多津へ。農業協同組合の倉庫だった建物では、イスラエルのシガリット・ランダウが白く膨らんだ漁網や衣服、楽器などを展示している。白いものは塩の結晶で、塩分の濃い死海に漬けた結果だという。古風な屋敷の和室では、山本基が青いシートの上に泡に覆われた砂浜のような網目模様を描いている。これは塩で築いたインスタレーションだ。塩を素材に用いるアーティストが選ばれたのは、ここがかつて塩田による製塩業で栄えた地だからである。

山本基《時を紡ぐ》宇多津(2025)[筆者撮影]
こうして見ていくと、先にも述べたように、大半のアーティストが空き家や廃校を展示場所として活用し、地元に伝わる船や塩、あるいは鬼ヶ島伝説などを素材・モチーフに作品づくりをしていることがわかる。また、作品を見るだけではわかりにくいが、多くのアーティストが地元住民からその地に伝わる文化や歴史を教わったり、作品の素材を提供してもらったり、制作を手伝ってもらったり、さまざまなかたちで協力を得ているのだ。これも瀬戸芸だけでなく、ほかの芸術祭にも共通することである。
これら住民も空き家もすべてひっくるめて「地域資源」といってしまえば、芸術祭とはアーティストを媒介に地域資源を生かして地元を活性化させる美術の祭り、ということになる。逆に地元の人たちからすれば、芸術祭を通して改めて自分たちの地域資源がどんなものであるかに気づかされることにもなるだろう。
国際芸術祭あいち
愛知芸術文化センター──「灰と薔薇のあいまに」
瀬戸芸に次ぐ大規模な芸術祭が、国際芸術祭あいち(以下、あいち)である。スタートしたのは瀬戸芸と同じ2010年。まだ6回目だが、芸術祭の歴史の浅い日本ではもはや古株といっていい。
初回は名古屋市内の愛知芸術文化センターを中心に、名古屋市美術館や街なかにも展開していたが、2回目以降は岡崎市や豊田市など県下にも範囲を広げ、地域の特性を活かした展示を試みるようになっている。今年は愛知芸術文化センターのほか、瀬戸市街と同市の愛知県陶磁美術館が会場に選ばれた。
ここは当初「あいちトリエンナーレ」と称していたが、2022年に「国際芸術祭あいち」に改めた(もともと計画段階では「あいち国際芸術祭」と仮称していたらしい)。改称のきっかけは、2019年に「表現の不自由展・その後」が大炎上したこと、それを機に主催の愛知県が名古屋市と対立して市美術館が使われなくなったこと、またそれにより県下の他都市への比重が増し、地域性を重視するようになったことが大きいのではないかと推測するのだが、それについてはまた後に触れたい。
今回の芸術監督は、アラブ首長国連邦のシャルジャ美術財団理事長兼ディレクターで国際ビエンナーレ協会(IBA)会長も務める、フール・アル・カシミ氏。つい10年ほど前までは国際展や芸術祭のディレクターというとたいてい日本人の男性だったが、最近になってようやく女性や外国人(特にアジア人)にも門戸が開かれるようになった。この傾向も芸術祭ブームと同じく一過性に終わらないよう願いたい。
カシミ氏が設定したテーマは「灰と薔薇のあいまに」というもの。現代アラブの詩人アドニスの詩の一節からとったもので、いまも各地で続く戦争および戦いが起こす環境破壊に抗うと同時に、その灰燼から新たに花が咲くという希望も込めている。そのため出品作品は戦争や環境問題、動植物の生態、そして女性を扱ったものが多い。参加アーティストはパフォーミングアーツを除いて54組。日本人や欧米人ももちろんいるが、中東やアフリカのアーティストが目立つ。
愛知芸術文化センター内に入ると、色鮮やかな毛糸でつくられた熱帯の海中風景が目に飛び込んでくる。インドネシアのムルヤナの作品で、工場の余り物の毛糸を使いリサイクルしているという。その奥にもムルヤナによる白骨化したクジラのオブジェが横たわっている。
展示室では、動物の生態を再現したニューヨークのアメリカ自然史博物館のジオラマを撮影した杉本博司の写真に混じって、戦後まもなく東山動物園に飾られていた3点の動物たちの壁画が展示されている。作者は太田三郎、水谷清、宮本三郎の3人で、猛獣のいなくなった動物園を活気づけようとゾウやトラ、シロクマ、ペンギンなどを描いたもの。生態学的には正確ではなさそうだが、時代を映す鏡としての価値は高い。同じく時代の証言者として、山本作兵衛による炭坑絵巻がある。炭坑夫を退職してから記憶を元に描いた千点を超える炭鉱の記録画の多くは、ユネスコ「世界の記憶」にも登録された。
左・右:杉本博司 中央:宮本三郎 展示風景 愛知芸術文化センター[筆者撮影]
美術館の中庭にはバラの花が植えられているが、これはキプロスのクリストドゥロス・パナヨトゥの作品。これらのバラは品種改良によって生まれたものの商品として採用されなかった種ばかりで、いわば印象派のように落選者だけが集う庭なのだ。知らずに見ればただのバラ園だが、解説を読むと目から鱗が落ちる。イラク出身のバーシム・アル・シャーケルの絵画もそうだ。天井と壁に花の散る巨大絵画を掲げたもので、最初は不穏な美しさをたたえた作品だなと思ったら、イラク戦争時に爆撃を受けた瞬間目に入った光景を描いたものだという。まさに「灰と薔薇のあいまに」かいま見せた刹那的な美しさである。

バーシム・アル・シャーケル《Four Minutes》愛知芸術文化センター[筆者撮影]
陶磁美術館と瀬戸市街
愛知芸術文化センターから電車と徒歩で約1時間、瀬戸市の愛知県陶磁美術館に行く。ここは場所柄セラミックを使った作品が多い。西條茜は陶器と臓器のアナロジーから身体器官を思わせる陶器を制作。陶器の穴に息を吹き込んだり、大きな作品を何人かで移動したりするパフォーマンスも行なう。ニューヨークのシモーヌ・リーは、黒人女性としての自覚からアフリカ美術を思わせるプリミティブな陶の彫刻を出品。屋外には大蛇とカメの甲羅の入った大きな器が置かれている。これはケニア出身のワンゲシ・ムトゥの金属彫刻だが、妙に生々しくてエモい。
西條茜 展示風景 愛知県陶磁美術館[筆者撮影]
バスで20分ほど走って瀬戸市内へ。美術館での展示は既存の作品が多く、芸術祭としてはいささか物足りなかったが、街なかでの展示は期待できそうだ。
まず向かったのは瀬戸市美術館。といっても注目したのは館内ではなく、屋外にあるUAE出身のシェイハ・アル・マズローの作品だ。水のない池に、波紋のように波打たせた陶板を敷き詰めている。主にバブル期に建てられた美術館や公共建築にはたいてい池や噴水が設けられたが、バブル崩壊後は経費が嵩むため噴水は止められ、水も涸れたまま。それに対するツッコミとも受け取れるし、水よりも陶のほうが管理しやすく環境にもやさしいという提案にも読めるのだ。
瀬戸市新世紀工芸館では映像を上映している。ふだん映像はスルーするが、チュニジア出身のセルマ&ソフィアン・ウィスィの映像はつい見入ってしまった。作者だろうか、一組の男女が手の動きをシンクロさせてなにかをつくるジェスチャーをする。2人の手が土だらけなので陶器をかたちづくる仕草のようだ。それだけの映像だが、不思議と魅せられてしまうのは彼らが振付家でありダンサーだからかもしれない。
旧瀬戸市立深川小学校の廊下や教室の壁にびっしりと人類進化のイメージを貼りつけたのは、アルゼンチン出身のアドリアン・ビシャル・ロハス。ポスト人新世を占う洞窟壁画のようだ。坂の上の陶土を採掘・加工する工場では、オーストラリア先住民のロバート・アンドリューが、固めた陶土を糸で擦ったり、上から水滴を垂らして崩したりしていくインスタレーションを発表している。作品自体もさることながら、現役の工場での展示だけに工業製品と芸術作品の対比も興味深い。

ロバート・アンドリュー《Presence》瀬戸市[筆者撮影]
尾張瀬戸駅に近い商店の奥の部屋では、イラク系ユダヤの背景を持つアメリカ人マイケル・ラコウィッツが古代のレリーフを展示。これは古代アッシリアの遺跡の一部で、イスラム過激派によって破壊されたレリーフを原寸大に再現したものだそうだ。しかし表面を見ると、ポップでカラフルな食品パッケージや古新聞でできていることがわかる。
さて、あいち全体を振り返ってみて、戦争や環境破壊など世界的に切実な問題を扱った作品が多く、テーマがお題目に終わらず生きていたことは評価できる。特に瀬戸市街地での展示は空き家を利用したり、特産である陶器を使ったりした作品が目立ち、ここでも地域資源が活用されていた。
(後編へ)