
福岡市の中心部、天神エリアは「天神ビッグバン」(2015~)という大規模な都市再開発プロジェクトが進むなかで、急速に姿を変えつつあります。このような変化の時代において、移ろいやすいデザインやクリエイティブの世界でも、都市の記憶を残し伝える活動にいっそうの意義が生じつつあるでしょう。
NPO法人「FUKUOKAデザインリーグ」が運営するウェブサイト「福岡のデザイン100」(2001~)は、そんな状況下で貴重なアーカイブとなっています。
本企画の発案者であり、デザイン史を専門とするartscape特別編集委員の野見山桜氏は福岡県出身。高校3年間は、地元北九州市を離れ、天神近郊の高校に通いました。当時、何気なく見ていた街の景色が、じつは「福岡らしさ」にあふれていたことに気付かされたのは、それから10年以上経ってから。そのきっかけとなったのがこのウェブサイトでした。インターネットで地域のデザイン文化に関する情報収集をしていて偶然発見した際には、その意義深さに衝撃を受けたそうです。そうした経緯があって今回の取材が実現しましたが、取材依頼に際してつぎのような思いがあったと言います。
「街の様子が変わっていくなかで、地域固有のデザイン史やその場所で長きにわたって活動してきたデザイン団体の経験や知見が、今後どのように活用されていくべきなのか、その可能性について考えるきっかけをいただけたらと思っています」
FUKUOKAデザインリーグは、グラフィック、建築、空間など多岐にわたるデザイン分野の団体が結集して生まれた組織であり、「デザインを社会のために」をスローガンに、行政や市民と密に連携しながら四半世紀以上にわたって活動を続けてきました。
この記事では、FUKUOKAデザインリーグ理事長の武永茂久氏(グラフィックデザイナー)、副理事長の中牟田麻弥氏(デザイナー)と栗田融氏(九州産業大学芸術学部教授)、理事の吉﨑達夫氏(デザイナー)らの発言をもとに、その活動の軌跡を紐解きます。取材の聞き手は野見山氏と編集部が務め、氏による取材後記も本稿末尾に掲載しています。(artscape編集部)
組織の成立から、行政との稀有な連携に至るまで
左から、栗田融氏、武永茂久氏、野見山桜氏、中牟田麻弥氏、吉﨑達夫氏[撮影:artscape編集部]
FUKUOKAデザインリーグはデザインの分野をまたいで連合する業界団体です。現在は10社の団体会員と約30名の個人会員から構成されます。福岡には各種のデザイン団体が支部を置いており、九州アートディレクターズクラブや日本サインデザイン協会、日本空間デザイン協会などが市内にあります。デザインリーグはこれらの「連合体」です。かつては日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)も会員だったことがありました。
設立は1996年、当初は福岡市経済振興局(当時)のなかに事務局が置かれていました。
武永──最初は団体ではなく、一回きりのイベントとして始まったんです。デザインを中心に据えてさまざまな分野をつなぐイベントをやろう、と。
そう理事長の武永氏は振り返ります。しかし、参加したデザイン団体から「継続しなきゃ意味がない」という要望を受け、任意団体として発足しました。
当初より活動の軸は「産業振興(経済刺激)」と「社会貢献(教育・啓発)」の二つに置かれていました。デザイン周りで経済を刺激する施策と、市民の暮らしを豊かにする社会貢献。この両軸を回すため、デザインリーグは行政と密に連携してきました。やがて、行政からの予算の縮小や、行政依存が続けば経済振興の立場が強くなりすぎるという懸念から、社会貢献活動を強化するため、2008年にNPO法人へと移行することとなります。
組織の特筆すべき点は、初期から行政との距離が非常に近い状態で活動が始まったことです。デザインリーグが行政から事業を受託することもあり、その際には、入札のコンペだけでなく指名の受託(直接依頼)の場合もあります。武永氏は、経済産業省が「デザイン経営」の啓発活動を推進した時期について振り返ってこう言います。
武永──数年前、経済産業省が「デザイン経営」の啓発活動に力を入れていた時期、リーグはコンペに参加して受託し事業に本格的に取り組みました。当時まだ全国的にも地方での実例が少なかったので、こちらで取りまとめた報告書を、本省(経済産業省)のほうですごく活用してもらって。増刷してほしい、と依頼が来たのは初めてでしたね。


全国に先駆けて2018年から3年間、九州経済産業局とともに啓発活動を実施した際の成果物
[提供:FUKUOKAデザインリーグ]
また、東京から福岡への移住を経験した吉﨑氏は、行政と事業者との距離の近さを実感したそうです。
吉﨑──東京だと、行政との接点はなかなか持てませんでした。デザインやクリエイティブ系の小規模事業者としては、とくにそうでしたね。ところが福岡では、デザイン経営のイベントなどで福岡市や九州経済産業局の方と名刺交換して、SNSなどですぐにやりとりを始めることができたんです。この距離感はすごいなと思いました。
武永氏は、多岐にわたるデザイナーが結集し、長期間活動を継続できているのは、「福岡の特性のひとつ」であると語ってくれました。
街の記憶を保存する──「福岡のデザイン100」というアーカイブ
「福岡のデザイン100」スクリーンショット
デザインリーグの社会貢献活動の大きな柱が、ウェブサイト「福岡のデザイン100」です。その名の通り、福岡の風土や歴史から生まれたデザインやクリエイティブを100件選定し、紹介するものです。アーカイブには、再開発で取り壊された「天神コアのロゴタイプ」(デザインは福田繁雄)や、かつてハイセンスな品揃えで知られた伝説的なショップ「インテリアのニック」など、失われつつある都市の記憶を継承する役割も担っています。
これは、デザインが時代とともに「消費されていく」ことへの危機感から、公益性の高いアーカイブ事業としてスタートしたものです。発端は、NPO法人化を見据えていた2001年に、福岡県立美術館でパネル展示を開催したことです。
このアーカイブの選定過程では、多岐にわたる分野のデザイナーが集うリーグならではの激しい議論が交わされました。武永氏は、とくに短期的な広告・グラフィックと長期的な建築・都市デザインとのあいだで意見が衝突したことを明かしています。
武永──各団体の代表者が集まる選定の会議では、それぞれの専門的な視点がぶつかり合いました。僕はグラフィック専門なんで広告系を推すわけですが、とくに建築関係の方からは「そんな一過性のものなんかダメだ」と言われました(笑)。
激論の結果として、異なる時間軸のデザインが同居するアーカイブが実現しました。
中牟田氏は、このアーカイブの意義について、「掲載された建物も、だいぶなくなってしまって。なので、アーカイブにあってよかったと思いますね」と、失われゆく都市デザインを記録する重要性を強調しています。このように公開からいざ時間が経ってみると、広告やグラフィックのような世相を手早く反映した表現からこそ見えてくる時代性もあったと言います。また、皮肉なことに、この四半世紀を経て建物のほうが取り壊しとなったいっぽう、ウェブサイト上の画像1枚で見られる広告表現からは、掲載当初のアクチュアリティが感じられる部分もあります。
この「福岡のデザイン100」について、デザイン史家の野見山氏は情報設計を評価します。「一般の人に向けたアーカイブとして、情報量の操作が絶妙だと思います。とっつきやすさが素晴らしいですね。もっと知りたい人はここでキーワードをひろって、自分なりに文献や資料を見ればいい。さらなる情報への入り口になるだけで十分なのです。シンプルなつくりなのでほかの地域でも真似できます」。
武永氏も「まさにおっしゃっていただいた通りで、専門家に向けたものではないんです。一般の人が長文の解説を読んだりはしない。だから、ひとつのビジュアルと一行のコピー、そして数行の説明で終わるというレギュレーション(情報設計)を徹底しました」と、その意図を明かしてくれました。
「福岡のデザイン100」は2001年の選定以来、アーカイブの掲載内容を変えていません。2021年の更新時もウェブサイト自体の事務的な手入れのみとなりました。単なる「その年のベストデザイン」を選ぶのではなく、「この時代のこれを後世に残さなきゃいけない」という強い意志がそこにはありました。「もし次があるとしたら?」と問うと、「既存のものに追加するのではなく、まったく新しい視点で『第2弾のデザイン100』を選ぶべき」と武永氏は答えてくれました。
ユニバーサル都市・福岡の源流
デザインリーグの社会貢献的な活動の方向性を決定づけることとなった2000年前後の福岡市による公共事業について、中牟田氏は語ります。そしてその意義は、現在の市の都市基盤にまで遠く響いていると言います。
中牟田──福岡市の地下鉄に関するプロジェクトでユニバーサルデザインの概念を確立したことが、のちに福岡市が「ユニバーサル都市・福岡」(2003年策定)を目指すきっかけのひとつとなったと私は考えています。また、これに関わった経験がデザインリーグ自体の視野を広げ、社会貢献とソーシャルデザインへと向かわせました。社会のニーズと共鳴し、デザインを通じて「市民のひとりひとりが豊かに暮らせる社会」を実現するというのが、リーグの活動の核となっています。
福岡市営地下鉄七隈線(3号線)は、その徹底した「トータルデザイン」と「ユニバーサルデザイン」の取り組みにより、2005年の開業以来、国内外で高く評価されてきました。内閣府バリアフリー化推進功労者賞やGOOD DESIGN賞など、多数の賞を受賞しています。
その計画時には、従来の公共事業では異例の「トータルデザイン」が採用されました。これは「誰もが快適に地下鉄を利用できるようにするため、土木、建築、設備、車両、情報、サービス等をトータルにデザインし、それによってコスト削減もはかるという、縦割りの公共事業では前例のない提案」★1であったとされます。
具体的な七隈線の空間づくりに際しては、既設線や他都市の事例調査に加え、車いす利用者、視覚・聴覚障害者、妊産婦、外国人など幅広い利用者の調査やヒアリングが行なわれ、数百もの課題が発見されました。これらの課題を解決するために、ユニバーサルデザインやインクルーシブデザインの手法が適用されたそうです。
こうしたトータルデザインの方針は1995年頃に成立したとされます。それを主導したのは、日本サインデザイン協会──その九州支部はリーグの会員です──でした。じつはこの立役者として、発足当初から中心人物である定村俊満氏(2016~2017年理事長/サイン計画およびユニバーサルデザインの専門家)がいます。当時から日本サインデザイン協会に属していた中牟田氏は、定村氏の功績についてつぎのように述べています。
中牟田──七隈線は、当初はサイン計画だけのプロジェクトとして立ち上がろうとしていました。しかし、サインだけでは不十分だという議論が定村さんたちを中心に巻き起こり、交通局に対してトータルなデザインによる「ヒューマンライン(人に優しく地域に根ざした公共交通機関)」が必要だと訴えたのです。その提言が受け入れられ、いまにつながっています。
こうした取り組みのうえに、「ユニバーサル都市・福岡」の都市計画があるのでしょう。デザインリーグはユニバーサル都市のマークを選定する際にコンペの運営にも関わりました。
教育とソーシャル・インクルージョンの実践
デザインリーグは、教育分野での「デザインスクールキャラバン」(出前授業)を20年近く継続しています。これは、県内の小中学校をはじめとした教育機関にデザイナーが赴き、ワークショップを行なうというものです。この長年にわたる活動は、博報堂教育財団が主催する「博報賞」を2010年度に受賞しています。
中牟田氏は、この授業は図画工作とは異なり、「誰かのために考える」というデザイン的な思考を教えることに主眼があると強調します。授業の内容としては、デザインの力で地域の商店街を考え直すというもので、子どもたちはそれぞれ「KIDSデザイナー」として建築、環境、店舗、グラフィックの四つの分野から取り組みます。
左:[立体空間系]:学校周辺をベースに「人が集まる商店街」「災害に強い街」などテーマを決めて行なう。右:[視覚伝達系]:自分の名前をモチーフにモンスターカードを作成。3人1チームでの属性調整やカードバトルの闘い方などコミュニケーション重視のワークショップ。[提供:FUKUOKAデザインリーグ]
また、デザインリーグはインクルーシブデザインとグラフィックデザインをかけ合わせた領域でも、10年にわたって事業を継続しています。
2015年から視力が弱い人も見やすい黒白反転カレンダーを企画・販売してきました。高齢者をはじめ視力が弱い人だけでなく、シンプルなデザインがインテリアを選ばず好評を得てきました。★2
デザインリーグが2015年から企画・販売してきた黒白反転カレンダーを基に、2021年からは、色覚異常の「2色覚」の人でも季節を感じられるカラー面を加えたリバーシブルカレンダーを開発しました。
「視力や色覚が弱い人にも見やすいリバーシブルカレンダー」[提供:FUKUOKAデザインリーグ]
プロジェクトメンバーの検討風景[提供:FUKUOKAデザインリーグ]
このカラー面開発にはデザインリーグ副理事長/九州産業大学教授の栗田融氏も参加し、デザイン的な調和の難しさに挑戦したと言います。
栗田──2色覚者のなかにも、色の見え方が異なる型の人がいらっしゃいます。私たちは型の違う2色覚の人に協力してもらいながら、プロトタイプの評価を進めていきました。
このように学識者との協働においては、福岡市が力を入れている「認知症」分野にもデザインリーグは取り組んでいます。主には認知症と高齢者についてのサインのあり方を探求しており、デザインリーグ内部から「福岡市認知症の人にもやさしいデザインのガイドライン化検討委員会」に関わるなどのかたちで貢献しています。
「誰かのために考える」という社会貢献の思いと、行政・大学・市民との「近さ」によって支えられ、変化し続ける福岡という都市の課題に対し、常に多彩なデザインという手段で応答し続ける──そんなFUKUOKAデザインリーグの軌跡が垣間見える取材となりました。
★1──https://www.sign.or.jp/old/sda/project1.html
★2──https://www.f-design.gr.jp/pj03/3011/
参考資料
・FUKUOKAデザインリーグ オフィシャルサイト、URL=https://www.f-design.gr.jp
収録日:2025/10/20(月)
取材後記
高校時代の休日。博多駅からはエコルカードを使って西鉄バスで天神へ。西鉄福岡駅の階段下にある大モニター前で友人と待ち合わせて、INCUBEで雑貨を物色した後は、地下街をぬけて天神コアに。ウィンドウショッピングを楽しんだら、福ビルの丸善に移動し、海外の雑誌を立ち読み。疲れたら新天町のマックかサーティワンで一休み。天気が良い日はアクロス福岡のステップガーデンでおしゃべりをした。進学に悩んでいた頃、イムズ最上階にあった三菱地所アルティアムで副田高行さんの展示を見て、広告の仕事に就きたいと思った。これが、私のデザイン原体験のひとつだ。
「福岡デザイン100」を初めて見た時、過去の記憶が一瞬でよみがえったのを今でも覚えている。10代の頃は、「福岡らしさ」について考えたことなどなく、ただ毎日そこで日々を送っていたけれど、学校の帰りに食べていたもの、地元銘菓や企業のCM、いつも使用していたバスや地下鉄の路線、お気に入りの商業ビル──あの街で目にし、体験してきたすべてが自分のなかにある福岡像を構成する大事な要素になっているのだと気がついた。そして、それらを生み出してきた人たちについて、もっと知りたいという思いが自然と強くなっていった。今回、FUKUOKAデザインリーグの活動について詳しくうかがう機会に恵まれ、その片鱗に触れられたように思う。街と、そこに暮らす人々への深い思い入れがまずあって、そこにデザインを通じた行動を起こしていくことの面白さと尊さをあらためて感じた。
最後に福岡のデザイン史を知るうえで参考になりそうな資料やリンクを紹介しておきたい。まず挙げるのは武田義明『風の街・福岡デザイン史点描』(花乱社、2017)だ。福岡の都市形成をデザインという観点から丁寧に描き出した1冊だ。客観的な事象を軸にしつつ、著者自身の体験が随所に散りばめられており、読み物としての没入感も高い。地域のデザイン史の語り口としても、とても参考になる。次に紹介したいのが、2023年に開催された第17回福岡市史講演会「西島伊三雄と都市福岡のデザイン」の記録映像だ。西島伊三雄は、福岡市営地下鉄のシンボルマークやご当地インスタントラーメン「うまかっちゃん」のパッケージデザインを手がけたことで知られるグラフィックデザイナーだ。講演では、ご子息をはじめとする登壇者の証言から、西島のデザインには一貫して強い愛郷心が反映されていることが確認できた。福岡市史編集委員会による『特別編 活字メディアの時代』(福岡市、2017)も興味深い。 2010年から刊行されている『福岡市史』の一環で、地域特有の印刷文化に焦点をあてたものだ。福岡は地方都市でありながら都市と出版の関係が濃密に見られる珍しい例なのだが、その特異性を詳らかにしている。
街が大きく変わろうとしている今だからこそ、あらためてその歴史や魅力を再考する機会が増えることを願ってやまない。
(野見山桜)
