
会期:2025/10/18~2025/10/23
会場:テアトル新宿[東京都]
公式サイト:https://ttcg.jp/movie/1259400.html
三宅唱監督作『密使と番人』は、時代劇という形式に則りつつ、その映画文法から逸脱する試みとして、人里離れた山中を黙々と歩む人々の姿を即物的なまなざしとヒップホップ音楽で捉える実験的な作品である。
本作は、19世紀初頭の日本における鎖国という枠組みのもと、若い蘭学者が日本地図の写しを略奪し、オランダ人へとわたす旅というプロットをもつ。江戸幕府が出した人相書きをもとに山中での追跡の風景が描かれるが、劇中での会話やチャンバラといった時代劇の代名詞ともいえる人間中心的なナラティブを排し、舞台である白雪の土地の環境を中心とした映像表現を核としている。雪を踏み締める音や木々を照らす夕陽、水の流れといった即物的な風景が強く引き立てられている。なかでも印象的なのは、映画冒頭において山中の稜線をなぞり、後から人が追いかけるように空間の横断を強調するフッテージである。ここでは、ひとつの身体を取り巻く大地の広大さと、海の外まで続く旅路が、行く先の見えなさを暗示している。
人体を含むさまざまな物体が雪の中で客体的に扱われる本作は、心理的ではない距離の操作によって構成される。死体として転がる薬売りから蘭学者が草履を奪う姿や、人里離れた山中で過ごす夫婦から食事を分け与えられた後に捕虜にしようとけしかける姿など、人と物体、あるいは善悪といった垣根が時として曖昧になる場面を幾度も描写している。これらの形式が語るもの、それは二項対立の融解である。雪原を横断する追う者と追われる者がもつれあいながら戦い、勝敗の判定が曖昧なまま終焉を迎える戦いの表象や、道端で遭遇する死体が大根や草履といった客体的な物体と同列に転がるものとして並置され、蘭学者が死者の草鞋を履く行為は、象徴的というのとは異なる英雄像を映し出す。人間が構築した国家という構造からの逸脱を大自然の普遍性のなかで相対化し、不条理な世界の真実を浮かび上がらせていると言える。
さらに、これら情景描写に対し、劇伴ではヒップホップクルーSIMI LABのOMSB、Hi’Specによる音楽が当てられている。この音楽は、時代劇という形式を意図的に攪乱させ、作品が映し出すのが環世界的な風景の記述における生身の人間の姿という、ある種時代劇的であって時代劇的ではない映画の核心を強固なものとしていると言える。
鑑賞日:2025/10/19(日)