今年の7月から8月にかけて、クアラルンプール(KL)から電車で約2時間、かつて錫の産地として栄えた地方都市イポーで、「イポー・インターナショナル・アート・フェスティバル2025」が開催された。この街に一昨年移住したアートジャーナリストの金井美樹さんから、ローカルなアートシーンや東南アジアの動きについて、折に触れ伺っていたが、このたびこの芸術祭のオープニング・フォーラムに参加することとなり、現地のアートに直に触れる機会を得た。学生時代のバックパッカー旅行以来、二十数年ぶりのマレーシア。その首都K Lで訪れたアート・スポットを紹介しつつ、その所感を記しておこう。
クアラルンプールのアートシーン
マレーシア国立美術館(National Art Gallery)は、1957年のマラヤ連邦独立の翌年、1958年に設立された歴史からして、国家のアイデンティティと深い関わりを持つ美術館であることは確かだろう。東南アジアの美術館でも最も古いもののひとつで、近現代美術のコレクションに加えて、植民地時代のプレ建国期の水彩画を含む4,500点以上を収蔵している。現在の建物は当初の場所から移転して、2000年に国立の劇場や図書館などを集めた文化地区の一角に開館した。三角屋根の外観はマレーシアの伝統的な造形に習ったかのようだが、建物内部の螺旋状の大きな吹き抜け空間はグッゲンハイム美術館を思わせ、現代性を打ち出しているかのようだ。
マレーシア国立美術館の吹き抜け空間[筆者撮影]
地上3階地下1階のフロアのうち、2階ではコレクション展、3階では企画展という構成。訪れたとき、「Isle To Isle: A Reflection of BIMP-EAGA Through Contemporary Art(島から島へ:コンテンポラリー・アートを通したBIMP-EAGAの反映)」というちょうど始まったばかりの展示を見ることができた。
BIMP-EAGA(ビンプ-エアガ)とは、ブルネイ・インドネシア・マレーシア・フィリピンと、East ASEAN Growth Areaの頭文字をとって付けられた名前で、日本語では東ASEAN成長地域と呼ばれる。公式サイトによれば、ブルネイ・ダルサラーム国全体、インドネシアのカリマンタン4州、スラウェシ州、マルク州、西パプアの各州、マレーシアのサバ州、サラワク両州とラブアン連邦直轄領、フィリピンのミンダナオ島とパラワン州という、ASEANの中でも東側に位置する周縁的なエリアを開発するための協力の枠組みを指す。
タイトルの「島から島へ」にあるとおり、この地域の一番の特徴は海、山、島といった自然に囲まれた環境であり、そこで育まれてきた生活文化、産業、信仰、歴史が中心的なテーマの作品たちがブースごとに展示され、ショーケースを思わせる。あいち2022で見たイー・イランの草を使った敷物の作品以外、ほとんど目にしたことのない作家たちばかりであったが、その表現はインスタレーションやインタラクティブ・メディア、デジタル機器をふんだんに用いた映像など、現代的な手法が大部分を占めていた。ローカルな素材や記憶を、国際的なコンテンポラリー・アートの言語を用いて表現するハイブリッド感が、この地域の美術史の反映であると言えるのかもしれない。絵画や彫刻といった伝統的なメディアが多く並ぶコレクションギャラリーと比較しても、その傾向は明らかだった。
このことには時代の違いということ以上の企画意図が感じられる。この国立美術館が、観光・芸術・文化省が所管し、観光や国際交流、近年ではメディアアートも含めた産業育成といった役割を担っていることを考えると、本展はまさしく、文化外交とアート産業の振興という国家戦略を「美術館の展示」という形で可視化し、体現するものであった。
Asilah Maziyah Mohamad Yussof Langit(2025)展示風景[筆者撮影]
コレクションギャラリーの展示風景[筆者撮影]
一方、私設の美術館で大きな存在感を放っているのがイルハム・ギャラリーである。KLの中心地・ゴールデン・トライアングルと呼ばれるビジネス街エリアに位置し、Foster + Partnersがデザインを手がけた60階建のイルハムタワーの3階と5階を展示室としたこのギャラリースペースは、2015年の開館以来、マレーシアの現代作家を中心に、東南アジアやグローバルなアートの実践を紹介してきた。筆者が訪れた7月には、それぞれのフロアで東南アジアという地政的な特質を踏まえた展覧会が開催されていたが、いずれも移民や植民地主義といった社会課題を取り上げ、丁寧なリサーチと緻密な展示構成がなされた意欲的な好企画であった。

ILHAMビル外観[筆者撮影]
3階で開催されていた「POLLINATION」というシリーズ展はチェンマイを拠点に活動する非営利のアート&リサーチプラットホームであるインタンジブル・インスティチュートが立ち上げた東南アジアのアート・コミュニティをつなげる共同リサーチプロジェクトで、毎回異なる協働者と共に実施されてきた。今回はイルハム・ギャラリーが共同主催者となり、クアラルンプールのアーティスト/リサーチャー/キュレーターであるマーク・テとミャンマー出身の研究者/キュレーターであるダイアナ・ヌエイ・トゥエ(Diana Nway Htwe)を迎え、4名の協働者とともに2024年から活動が開始された。クアラルンプール、ペナン、ヤンゴンを主な拠点に、アーカイブ調査、コミュニティとの対話、共同マッピングなどを実施し、その成果としての展覧会が「POLLINATION 4: the palms of y/our hands」である。本展でとりわけ興味深いのは、アーティストではない二人の人物──ひとりはマレーシアで暮らすミャンマー移民、もうひとりはミャンマーに住む学生──が、作品の共同制作者として位置づけられている点である。このプロジェクトにおいて、彼らは取材対象でも参加者でもない。彼らの語りや日常の道具そのものが展示の核となり、個人のリアルライフから浮かび上がる移動と労働の歴史は圧倒的な説得力を持っていた。
「POLLINATION 4: the palms of y/our hands」展 展示風景、イルハム・ギャラリー[筆者撮影]
また、5階のギャラリーではカデスト・ファウンデーションとイルハム・ギャラリーの協働プロジェクトとして、若手キュレーターの企画をフックアップする展覧会「The Plantation Plot」が開催されていた。プランテーションという制度がもたらした歴史的・経済的・文化的影響をテーマに、東南アジアやラテンアメリカ、中東、アフリカ、オセアニアなど広い地域から28組のアーティストが選出されていたが、カデストとイルハムが所蔵する作品に加えて、一部コミッション・ワークも見られ、多層的な視点を提示する構成となっていた。
いずれの企画も、キュレーターおよびキュレーションに重きが置かれていることが印象的だ。リサーチから制作に至るまで多くの時間とエネルギーが注ぎ込まれていることが、展示構成の精度や作品クオリティの高さから感じ取ることができた。また、マレーシア、インドネシア、タイ、ミャンマーといった東南アジア諸国間の横断的人的交流が想像以上に活発で、政治的・社会的課題を共有しながら、作家・研究者・キュレーターが継続的な協働プロジェクトを実践できる環境が整備されつつあるようだった。
イルハム・ギャラリーは「アートはすべての人のものである」という基本方針のもと、観覧料は無料というから驚きだ。この料金設定には、この施設の担う公共的な役割が反映されているように思われる。政府や行政の方針によって運営されるナショナルギャラリーと比較すると、踏み込んだ企画内容や、移民問題や脱植民地主義など政治的・社会的なイシューを扱う踏み込んだ自由なキュレトリアル実践の場として、アートシーンを牽引している。展示室の外には、ライブラリーコーナーが設けられ、書棚は国別に分けられそれぞれの国における主要な展覧会カタログが閲覧できるようになっていたが、これも教育・研究活動を支援するこの施設の態度が表われていると感じた。
アーティスト・コレクティヴ「AWAS!MAWAS!」とマレーシアのスンガイ・ブンブン村およびプラウ・ケンパス島の子どもたちによるプロジェクトで制作されたパペットたちと、パレード・パフォーマンスの記録映像による展示風景[筆者撮影]
イルハム・ギャラリーのライブラリーコーナー[筆者撮影]
同じくプライベートなアートスペースであるUR-MUは、建築家でありコレクターでもあるタン・ローク・ムン(Tan Loke Mun)によって2022年に設立され、その後2つの分館が新設された、新しいアートスポットである。
+nと名付けられた3番目の美術館は、市街中心部のチャイナタウンに2024年にオープンしたばかり。ここではランドスケープ・アーキテクトであるウン・セッ・サン(Ng Sek San)が収集したマレーシアの現代美術作品約70点によるコレクション展「ストラテジー・オブ・ディセント(異議申し立ての戦略)」が催されていた。タイトルの通り、作品は抗議や抵抗を主題とする作品群が4つのフロアに分かれて展示されており、マレーシアの政治運動においてアーティストが果たした役割を描くことが試みられていた。カリカチュア的、表現主義的、ストリート・アート的とさまざまな表現技法による具象的な絵画作品が多くみられ、農村地帯の現状を告発するモチーフや、政党の旗を素材に用いた作品など、1990年代以降のマレーシアの社会・政治状況を反映し、アートが政治的発言をする意義を持っていることが窺われた(筆者が関わるHOSPITALEで、2018年の総選挙でマレーシア独立以来初の政権交代が実現した出来事を山下残が作品化した《GE14》を発表したことが思い出された)。
デザイン性の強いテーブルやソファが配置された空間は、コレクターの部屋を訪れているかのようでもあり、屋上庭園ではカフェも楽しむことができる。
+nでの展示風景[筆者撮影]
+nでの展示風景[筆者撮影]
上記の3つの大きなインスティチューションのほかにも、注目すべきオルタナティブなアートスペースは多く存在している。そのうちのひとつ、The Back Roomは実験的な表現を積極的に紹介するギャラリーとして知られている。訪問時にはマレーシアの若手作家、Atas Pagarによる家族の記憶にまつわる作品が展示され、小さいながらも密度の高い展示が目を引いた。
このスペースがあるションシャン·ビルディング(Zhongshan Building)には、 カフェや文具店、レコードショップ、ファッションデザイナーのアトリエなど、インディペンデントな活動が集合していた。ウェブサイトによれば、Think Cityという都市再生を手がけるNPOのサポートにより、1950年代に建てられた長屋式の集合商店建築をリノベーションし、クリエイティブ・ハブとして活用するプロジェクトとして2017年にオープンしたとのこと。複数の棟が連結し迷路のような建築の面白さはもちろん、そしてファインアートだけではなく、音楽や出版、デザインなど広くカルチャーが同居している様に、同時代的な共感を覚えた。カフェには近所の中高年の方々の姿もポツポツ見受けられたのは、建物の歴史によるものだろうか。ローカルに根付いた姿が印象的だった。
ションシャン・ビルディング外観[筆者撮影]
The Back Room でのAtas Pagar個展「On the Fense」会場風景[筆者撮影]
ギャラリーに面した廊下は、人々が憩う公共空間となっている[筆者撮影]
インディペンデント系ファッション・ブランド「INKAA」のアトリエ兼ショップ[筆者撮影]
マレーシア・デザイン・アーカイブは予約制で閲覧可能[筆者撮影]
イポーのフェスティバルに集まった東南アジアの小さなアーティストコレクティブ
PINCER(Perak Innovation & Creative Resource Centre)を拠点に、7月19日から8月3日までのおよそ3週間にわたって開催されたイポー・インターナショナル・アート・フェスティバル2025は、「GEMA(Resonance)― Art, Healing and the Future(共鳴:アート、癒し、そして未来)」というテーマを掲げ、100名以上のアーティストが参加する規模の大きな芸術祭である。筆者が登壇したフォーラムは「Creative Interventions: Bridging Culture, Memory and Community(創造的介入:文化、記憶とコミュニティを繋げる)」をテーマに、オルタナティヴな活動に取り組む4名のパネリストが参加。
1988年に設立されたインドネシアはジョグジャカルタを拠点とするチェメティ・インスティチュート(Cemeti Institut untuk Seni dan Masyarakat)のファウンダー、メラ・ヤルスマ(Mella Jaarsma)は、彼女自身が国際的に活躍するアーティストであり、ローカルに根差しながらグローバルな視点とネットワークを持って活動を続けてきた先輩格のプロジェクトとして知られる。他方、マレーシアからは、アーティストを中心とした実験的プラットフォームMAIX(Malaysian Artists’ Intention Experiment)の建築家イスマイル・ラヒム(Ismail Rahim)が参加し、ワークショップやリサーチを通じて都市とアートを接続する場作りの実践を共有した。マレーシアを代表するアーティスト、シュシ・スライマンが2014年に設立した本プロジェクトは、プロセスと人々との関わりに重きが置かれている。
マレーシアの東海岸の海沿いの地方都市クランタンで活動するアーティストコレクティブ、アフター・モンスーン・プロジェクトもまた、地域コミュニティとの協働を重視し、レジデンスやアート・フェスティバルを実施してきた活動体である。生活文化と繋がったアートの場を開こうとする彼らの実践は、登壇したハリス・アバディが今回のイポーの展覧会に展示していた「干物の魚」の微笑ましいオブジェ──地域の伝統的な保存技術や空間的な移動の象徴でもある──にも現われていた。
印象に残ったのは、いずれも実験精神を持ったコレクティブという形をとり、アートと地域社会の接続をコンセプトの中心に据えた、極めて小規模なインディペンデントの活動体であったことである。アーティストが主導となり、地域の一員として活動する様は、行政/国やキュレーターの存在が目立ったKLとはまた異なるマレーシアのアートシーンを示していた。一方で、伝統文化に光を当て、さまざまな形でその継承に取り組む姿勢は、植民地時代を経て独立したマレーシアという国家の歴史や制度、アイデンティティとも深く関わっており、切実な問題として各人が向き合うなかでアートが必要とされていることを実感した。
フォーラムの様子

ハリス・アバディ《Awet Sempadan(国境通過証)》(2023)[筆者撮影]
廃墟の街パパンでみつけた都市再生の希望
もうひとつ、イポーの隣街、パパンでの出会いについて触れたい。19世紀末から20世紀初頭、錫の採掘で栄えたこの街は、鉱山の閉鎖によりかつての家屋が廃墟としてそのまま残る地域である。金井さんの友人アンセルに連れられて訪問することになったのだが、現在も約100名の住民が暮らしているという。
パパンの廃墟建物群[筆者撮影]
彼はこの街の保存活動に取り組んでおり、街の近代史や生活史が展示された資料館や、廃墟の建物内部などを案内してくれたのだが、「時が止まった」という表現がこれほどまでに相応しい空間には初めて出会った。近年、この街並みを観光資源にする動きがあり、年に一度開催される「レトロイベント」は昔の衣装の「コスプレ」で撮影を楽しむ人々で賑わうそうだ。また、藤元明緒監督によるロヒンギャ難民の幼い姉弟を描いた映画『ロストランド』のロケ地のひとつとなり、撮影のアレンジに携わっていたことを教えてくれた。遺跡の街ツアーの最後に訪れたのはこの街一軒の本屋「甲板書屋 Papan Book House」。ここは、住民たちの集いの場として機能しており、読書会やさまざまなワークショップが開催されているということであった。店屋の棚をなんとなしに眺めていると、不意に日本とパパンとの歴史に出会うこととなった。『慈悲の心のかけらもない あるユーラシア人女性の抗日』には、パパン在住のシビルという女性の第二次大戦中の経験が記されており、その内容は相当に衝撃的である。日本語版に序文を寄せているロー・シアク・ホン(Law Siak Hong)氏はイポーの文化遺産の研究や保存活動に従事しており、パパンでも活動するなかでシビルの娘、オルガと出会ったことが書籍の出版に繋がったという。かつて、この街を日本軍が占領し、現地の住民たちに大きな犠牲を強いたことが、現地の生活者の視点から克明に描かれている。「戦後80年」という言葉の重みを実感せざるを得ず、そうした事柄を知らないままにマレーシアでの日々を過ごしていたことを恥じた。この本に出会わないままに、マレーシア滞在を終えなくてよかった、と心から思えるほどに。
パパン唯一の書店「甲板書店」は街のコミュニティスペースとして機能している[筆者撮影]
廃墟の通りを歩きながら、アンセルは、「パパンの街を瀬戸内のようにアートで再生したいんです」という夢を教えてくれた。ポジティブな彼の言葉に少々戸惑いつつ、私でできることがあればなんでもしよう、と思った。そのときこそ、アートの真価が問われる機会となるだろう、と、今なお心が震えている。
マレーシア国立美術館(National Art Gallery)
住所:Lembaga Pembangunan Seni Visual Negara, No. 2, Jalan Temerloh, Off Jalan Tun Razak, 53200 Kuala Lumpur
公式サイト:https://www.artgallery.gov.my
イルハム・ギャラリー(Ilham Gallery)
住所:LEVELS 3 & 5, Ilham Tower, NO 8, Jalan Binjai, 50450 Kuala Lumpur
公式サイト:http://www.ilhamgallery.com
UR-MU
住所:The Toffee, The Project Room, Level 4, 2 Jalan Raja Chulan, City Centre, 50100 Kuala Lumpur
公式サイト:https://ur-mu.com
+n by UR-MU
住所:131 & 133, Jalan Tun HS Lee, 50000 Kuala Lumpur, Wilayah Persekutuan, Kuala Lumpur
公式サイト:https://theplusn.com