会期:2025/10/15〜2025/10/22
会場:水性[東京都]
作・演出:松森モヘー
公式サイト:https://maad-demons.com/works/さる/

何のために生きるのか。答えなどないと知りつつ、人はしばしばこう問わずにはいられない。生きる理由が、目的が、あるいは生き甲斐があれば幸せだろうか。だが、生きる支えとなるべきそれらはときに人に取り憑き、生そのものを乗っ取り蝕んでしまうことがある。そうなってしまえば人はもうそれなしでは生きられない。いや、そのときそれはほとんど生そのものとなり変わってしまっているのだ。

昨年10月に上演した『 か み 』で「令和のアンダーグラウンド」から会話劇へと作風を一転させた中野坂上デーモンズ。その1年ぶりとなる新作『さる』(作・演出:松森モヘー)が上演された。「『かみ』からひとに与えられし三つのこと。お金、仕事、狂気にまつわる小さな演劇」というキャッチコピーが暗に示す通り、芸術に関わる者の業というテーマを前作から引き継いだ今作はその業の深さを、いや、そのどうにもならなさをより強烈なかたちで示す作品となった。

[撮影:星ヒナコ]

舞台はごく普通の居酒屋。来店した里村(わかまどか)に新人バイトの浜田(松森)が対応するところから物語ははじまる。料理の提供にどれくらい時間がかかるかわからないのだと謝り、暗に退店を促す浜田。どうやら調理を担当するはずの店長がどこかに行ってしまったまま戻ってこないらしい。二人のほかには客も店員もいない。しかし里村は平然と「待ちます」と応じ、何度聞いても「だいじょぶですよ」「待ちますんで」と繰り返すのみ。やがて浜田は根負けするかたちで彼女を店内に通してしまう。そうしてはじまる、あまりに仕事のできない浜田とそれに対して斜め上の応答をする里村の不条理な攻防(?)はこの作品の第一の見せ場となっている。

[撮影:星ヒナコ]

客がいるのに「念のため」とシャッターを閉めてしまう浜田。ドリンクの提供はできないと言われているのに飲み放題を注文する里村。浜田は浜田でそれに怯みつつも飲み放題のプランを説明しだし、プレミアムプランの注文を受けてしまう。制限時間90分のカウントダウンをはじめるもオーダーされた生ビールはもちろん提供できず、代わりに瓶ビールを出そうとすれば栓抜きが見つからない。里村は仕方なく烏龍茶を注文し直すのだが、ようやく提供された烏龍茶はグラスの底に指1本分ほどしか入っていない。在庫が見つからなかったのだ。そんな対応にもめげずに(?)里村は串揚げ48本(!)を含む大量のフードを注文し、浜田の「どうにもできなさ」は積み重なっていく。

そんな二人のやりとりの間に店には第三の人物が訪れる。シャッターをガンガンと叩いて店に入ってきた千葉(柿原寛子)は元店員のようなのだが、店長に用事があってきただけでヘルプに来たわけではないと浜田を手伝う様子がないどころか在庫の場所さえ教えようとしない。さらにはあろうことか、未払いの給料分だと言い張りレジの金を持って行こうとする始末だ。浜田は止めようとするのだが、千葉の右手が首から吊られ包帯でぐるぐる巻きになっているのは浜田が煮込みをぶっかけたせいらしく、こうなったのはお前のせいだろと千葉に責め立てられてしまう。「なんでそんな仕事できないの?」「芸能活動みたいな? されてたんだっけ(笑)?」と浜田を嘲る千葉だったが──。

[撮影:星ヒナコ]

さて、物語はここからあれよあれよと言う間に予想外の結末へと転がっていく。里村は突然、実は浜田のファンだったのだとカバンから大量の自作グッズ(ブロマイドやTシャツ)を取り出す。里村が語るところによれば、浜田はかつて、猿のやまざきつとむとコンビを組んでダニエル浜田としてサーカスで活躍していたのだが、なんらかの事故(?)でつとむが死んでしまい、それをきっかけに浜田もサーカスを引退しこの居酒屋で働くようになったらしい。里村はさらに現金100万円を取り出すと、これをあげるから舞台にカムバックしてほしいと浜田に懇願する。浜田は葛藤するが、受け取ってしまったら「ほんまにおわってまいそう……!」とその金を千葉への慰謝料(?)にすることを提案。どうやらギャンブルで首が回らなくなっている千葉はどうしてもその金が欲しい。そうして100万円を賭けた「差し入れの中身当てゲーム」に挑むのだが、その箱から出てきたのはなんとつとむの遺体から切り取られた「猿の手」だった。賭けに負けた千葉はさらに自らの腕を賭けたじゃんけんに臨むがそれにも敗北。浜田はあまりの展開に呆然となり、里村に言われるがままに千葉の腕に包丁を振り下ろしてしまう。……だが、そうして切り落とされたのは浜田自身の手首だった。千葉はそのまま金を持って逃走。浜田の惨状を見た里村は言う。「ほらぁ。バイトなんてするからぁ(笑)」。

[撮影:星ヒナコ]

W・W・ジェイコブズによる短編小説で有名な「猿の手」は、願いを叶える力を持つ一方でその実現のために何らかの代償を求める呪物であり、運命を曲げようとする者には災厄をもたらすものでもあるのだという。では『さる』においては誰が何を手に入れ、どのような代償を支払ったのか。そう考えてみると、結末の不条理さはより際立ってくる。なぜなら一連のやりとりによって浜田が手に入れたのは、自身の手を代償とした新たな「猿の手」(?)でしかなかったからだ。同じ図式は千葉にも当てはまる。千葉は金を手に入れるという目標を達成したかのようにも見えるが、彼女がギャンブル依存症であるらしいことを考えれば、その金は新たな金を生み出すための手段でしかない(そしてもちろん生み出される金は彼女のものになるとは限らない)。猿の手を生む猿の手と金を生む金。そしてそれらの狭間ですり減っていく人々の生。

[撮影:星ヒナコ]

それとも、この結末は運命を曲げようとした者に訪れた災厄だったのだろうか。だとすればその運命とは何か。浜田がサーカスをやめたことかあるいは一瞬でもサーカスに戻ろうとしたことか。いずれにせよ、この結末はサーカス芸人としての自分から浜田が逃れられなかったがゆえのものだったのかもしれない。そんな浜田の姿の向こうには演じる松森自身の姿が、そしてその業が透けて見えるのだった。

──だが考えてみれば、そもそも願いを携え猿の手をもたらしたのは浜田ではなくそのファンの里村である。ならば観客も、そしてこうして劇評を書いている私もまた共犯なのだろう。演劇を続けるという松森の願いは観客という猿の手によって叶えられ、演劇を続けることによってのみ新たな猿の手=観客は生み出される。代償として松森はその身をすり減らしていくだろう。それでも松森は演劇を「やめられない」。松森が示す業の深さに十分に報いるほどの業を観客たる私は示せているか。狂気じみた里村の姿が真に問うていたのはそんな問いだったのかもしれない。

[撮影:星ヒナコ]

早くもこの年末には演劇に取り憑かれた男・松森モヘーの新作として劇団ノックステージ『やばすぎっ』の上演が予定されている(2025年12月17〜21日)。「カルト的鍋パーティー」を描いた会話劇とのことだが一体どのような舞台になるのだろうか。

鑑賞日:2025/10/21(火)