会期:2025/10/11~2026/01/12
会場:アーティゾン美術館[東京都]
公式サイト:https://www.artizon.museum/exhibition_sp/js_yamashiro_shiga/

アーティゾン美術館で第6回ジャム・セッション、石橋財団コレクション×山城知佳子×志賀理江子「漂着」が開催された。ジャム・セッションは石橋財団のコレクションと現代作家の関わりから新たな創造を生み出そうとする連続企画で、本展では2名の作家が招聘されている。それぞれが1フロアを使用し、コレクションからの選定作品が加わるものの、作家としては1フロアにつき1作品という展示構成でどちらも撮影が禁止されていた。ここでは山城による映像インスタレーション《Recalling(s)》について述べたい。

山城のフロアはコレクションから選ばれた一枚の絵画から始まったあと、六つのモニターと舞台的空間からなる作品が展開する。短冊上の帯がいくつも垂れ下がる空間に四つの巨大なモニターが配され、それらが互いに干渉し合う構成となっている。

会場へ入って最初に目にするモニターには戦争について語る女性が映され、その奥のモニターからは自衛隊に関するユーモラスな会話が聞こえてくる。戦争という共通のモチーフによって、眼前の映像と奥のモニターから流れる音声が関わることが推察される。モニターの前に置かれたイスに座り、他の三つのモニターから流れてくる音声とともに映像を観ることもできるし、音声に惹かれて四つのモニターを移動することもできる。四つの映像に順路はなく、そもそもひとつのモニターから流れてくる音声も重なっていたり、あるモニターに映っている人物や映像の場面が他のモニターで流れたりと、音声と映像の複合的な鑑賞が企図されている。時折四つのモニターは同期して、海のなかに沈むような気泡の映像と多層的な音声という一致を見せる。それを上演のひと区切りとして、複数のモニターを自分の足で編集しながら体験するような映像鑑賞の形式である。

映像にはいくつかのシークエンスが見出せる。ハンドアウトを頼りにすると、山城の父であり小説家の山城達雄が幼少期に渡ったパラオ(ベラウ)の風景、東京大空襲の体験を語る亀谷敏子、米軍統治下時代から活躍したジャズシンガー・齋藤悌子とドラマーの金城吉雄の楽曲、高等弁務官である牧師・平良修の演説、喜納昌吉本人が奏でる『ハイサイおじさん』。また、自衛官と県民の二人劇、パラオの学生たち、取り壊される劇場の映像が見て取れる。それらはドキュメントとフィクションが混ざり合うように構成され、山城が扱う「語り」というものが常に創造性を帯びることが強調されている。例えば無数の赤い造花に包まれながら、飾り気なく振る舞う山城達雄を捉えるなど、多くのシーケンスにおいて本作の映像は創られた空間の記録映像という趣きがある。亀谷の幼少期に関する写真や、沖縄とパラオをつなぐ海中にかつてあっただろう鮮やかな珊瑚やイソギンチャクといった事実に基づく要素が演劇の書割のように装飾的に表現されたり、山城達雄は異なるシーンにおいても同じ柄のアロハシャツを身につけて「山城達雄」という登場人物として現われたりする。また映像に映るイソギンチャクの書割は、展覧会場に現物が置かれている。本作の区切りとなる海水の映像のあとに、次の上演を告げるかのように映る束ねられた布の映像も会場内に垂れ下がる短冊の布と重なり、映像空間と鑑賞者のいる空間をゆるやかにつないでいる。

このような複数の映像世界、および会場空間を関係させる複雑な鑑賞形態を支えているのは音の力にもよるだろう。例えば、あるモニターを見ていると、画面に映っている人物の音声、その人物がやり取りをしているけれど画面には映っていない人物の音声、そして別のモニターからの音声が調和して聞こえてくる。四つのモニターからの音声がひとつの流れとして聞こえるように、音量やシーンの組み合わせが設計されているように感じる。それゆえに映像をひとつずつ観てから移動せずとも、音に導かれるように歩きながら鑑賞することで、複数のシーケンスによる多層的な視点を享受できる。それは本作がテーマとしている複数のトピックの連環──沖縄だけに限らない戦争の記憶、語り継ぐ行為、薄れていく記憶、音楽や祈りとともに生きること、戦争によって心を崩した人、それを明るく唄うこと、戦争を特需と捉える価値観、といった戦争にまつわる周縁的な出来事の往来──を鑑賞者が自らの足を使ってめぐるという構成に沿うものだろう。その一方で、卓越した音の設計によって生じてしまう感情の昂りをどのように扱うべきかは戸惑いがある。齋藤や喜納による歌声のカタルシスは凄まじく、それらが戦争に対する皮肉やエピソードと関わり合うことによる情感に浸ったり、戦争の当事者と呼べる人たちに寄り添えたかのように錯覚したりすることには踏みとどまるべきだと感じる。

メインの四つのモニターの他、会場の奥の区切られた空間には山城のこれまでの映像作品を再編集した約90分の映像、また出口近くの小さなモニターには世代間の継承をテーマにした映像が上映されている。新作の一部に沖縄と向き合ってきた作家人生をまるごと含めることにも、創作活動とともに生き、沖縄に焦点を当て続けるという作家の姿勢が感じられる。

入り口に置かれた収蔵品からの一作《四人の射手》は、アボリジナルの画家が祖先や共同体とともに語り継いできた創作神話を表現したものだ。会場全体を通して、複数の土地をめぐる記憶や出来事に触れ、他者による土地との関わりを重層的に介して歴史と向き合い直すような展覧会だった。

鑑賞日:2025/12/02(火)