洪水リスクと隣り合わせに発展してきたオーストラリア・ブリスベンで、建築家・研究者の土岐文乃氏は、川やクリーク(支流)を起点とするブッシュケアやシティファームの取り組みに注目します。これらの活動は、自然環境の再生にとどまらず、新たな地域コミュニティを育む土壌となっています。本記事では、ノーマン・クリーク流域とエノゲラ・クリーク流域に目を向け、環境を“共にケアする”ことによって立ち上がる、都市と人との関係性を読み解いていきます。(artscape編集部)
《Northey Street City Farm》[筆者撮影]
1.環境を介した人々のつながり
蛇行する川を基点に形成されたブリスベンの街は、周囲の丘陵地から流れる無数のクリーク(支流)が毛細血管のように張り巡らされている。この地形的特徴と都市化の影響から、街は河川洪水、クリーク洪水、地表水洪水、高潮洪水と複合的な洪水リスクにさらされてきた★1。特にクリーク洪水や地表水洪水は発生頻度が高く、市民の生活に極めて身近な問題となっている。
遊歩道が寸断された大雨の後のクリーク。[筆者撮影]
1893年の大洪水から約80年ものあいだ沈黙が続いた戦後の都市開発において、湿地の埋め立てやクリークの暗渠化といった近代的な治水事業は、土地の保水力を奪い、人為的に洪水リスクを押し上げたといってもいい。しかし、1974年の大洪水を契機として、90年代以降、水系を街の資産として捉え直し、再生しようという住民主体の活動が続けられてきた。約30年が経ち、その活動は奥行きと広がりを持ち、新たな地域コミュニティの形成へと発展している。本稿では、中心市街地に隣接するふたつの流域、ノーマン・クリークとエノゲラ・クリークにおける特徴的な事例を紹介したい。
ノーマン・クリーク(地図右下)とエノゲラ・クリーク(地図上、下流でブレックファースト・クリークへと名称を変える)の位置関係。2032年オリンピックに向けた都市計画においても重要な都市水路として位置づけられている。[ブリスベン市《Brisbane’s Inner City Strategy (2023)》より抜粋]
2.ブッシュケア
オーストラリアでは「ブッシュ(Bush)」という言葉をよく耳にする。一般的な英語では「茂み」や「藪」を意味するが、この国では未開の自然や森林を指し、過酷な自然との闘いの連続であった植民地開拓の歴史や文化と深く結びついた特別な概念である。そこには自然に対する畏怖と親愛が共存しており、「ブッシュマン」「ブッシュタッカー」「ブッシュウォーク」など、オーストラリア独自の文化を象徴する言葉が数多くある★2。そして、「ブッシュケア」とは文字通りブッシュを保護し、再生させる活動を指す。
現代のブッシュケアの原型は、1960年代後半にシドニーで展開された草の根活動に遡る。ブラッドリー姉妹が、外来種に侵食された公園での実践を通じて、在来植物が持つ自然な回復力を活かす植生回復手法「ブラッドリー・メソッド」を確立★3。植民地開拓によって損なわれた在来植生の再生に特化したこの手法と思想は、その後、全国的な市民ボランティアによる環境保全活動へと発展を遂げた★4。1990年、多額の予算を伴う国家プログラム「ランドケアの10年計画」が始動すると★5、ブリスベン市は現在も続く「ハビタット・ブリスベン」プログラムを開始。これによりブッシュケア・グループが急増し、各地域のグループに専門家が付き支援を行なう官民連携スタイルが確立された。
ブリスベンにおけるブッシュケアの特徴は、クリークのキャッチメント(流域/集水域)に焦点が当てられていることだ。キャッチメントは、生態系保全と洪水対策の両方において極めて重要な管理単位である。キャッチメント全体で包括的にブッシュケアを行なうことで、土地の保水力を高めると同時に、在来植生や生態系の回復を促進することができる。これは、洪水リスクの軽減と、人と自然が共生する環境づくりを両立させる、現代的な地域マネジメントの手法といえよう。
ブリスベンには30以上のキャッチメントが存在するが、それらを12のキャッチメント・グループが広域的にカバーしており、その傘下で150以上のブッシュケア・グループが各地域に根ざした活動を展開している。自治体による支援、中間支援組織による調整、そして市民ボランティアによる実地活動が連携する、重層的な体制が構築されている。
3.環境を共にケアする
筆者が所属するキャッチメント・グループ《Norman Creek Catchment Coordinating Committee 》(以下、N4C)は、ブリスベンで最も都市化が進み、複雑な洪水リスクを抱えることで知られるノーマン・クリークを担当している。近年、再開発や集合住宅の建設が急速に進むこの流域周辺は、エリアごとに多様な環境が隣接しており、約20のブッシュケア・グループがそれぞれのミッションを掲げて活動している。
クリーク沿いに佇むN4Cの拠点施設。1960年代に建てられたガールスカウトの集会所を転用したもの。上階はオフィスとして、下階はアートクラスやワークショップに使用されている。建物横には植栽・植林に必要な在来種のナーサリー(種苗所)と地域住民に開かれたコンポスト・ハブがあり、いずれもボランティアによって管理されている。[筆者撮影]
同クリークは、市内で3ヶ所指定されている水辺再生プロジェクトの対象でもあり、長期計画《Norman Creek 2012-2031》★6のもとで劇的な変化を遂げている最中だ。そのパイロットプロジェクトとして、2022年に完成したのが《Hanlon Park》である。かつては1930年代に設置されたコンクリート溝であったが、現在は自然な水路へと再生された。当時は洪水を速やかに下流に流すことが治水の常識であったが、1974年の大洪水がその手法の限界を露呈させたという。ブリスベンで最も成功した都市再生プロジェクトのひとつとして高く評価されており、他のエリアの整備を後押しするモデルケースとなっている。
ノーマン・クリーク沿いに残っているコンクリート溝。一部はブリスベン市が認可するストリート・アート・ウォールになっている。[筆者撮影]
《Hanlon Park》はN4Cのブッシュケアのサイトのひとつ。直線的なコンクリート溝が、蛇行する低水路と、洪水時に大量の水を処理する幅広の高水敷に置き換えられた。植栽は汚染された水を浄化し、生態系を呼び戻す。洪水の影響を最小限におさえるデザインが人々と自然に居場所を提供している。[筆者撮影]
洪水の際、蛇行する水路や密集した湿地植物は水の流速を軽減し、コンクリートのベンチは水位に応じて段階的に水を広げる段状の護岸となる。これにより、フラッシュフラッド(突発的洪水)のリスク軽減、土壌の侵食防止、冠水後の迅速な復旧を可能にしている。[筆者撮影]
N4Cは、もともとクリークの流路変更に伴って生じた裸地を再生しようとする、数名の地域住民による取り組みから始まった。1996年に非営利団体となり、現在のボランティア登録数は200名を超えるという。参加頻度や時間に義務はなく、各自が無理のない範囲で楽しむことが重視されている。グループ・リーダーの指示のもとで行なう作業はとてもシンプルなものだが、在来種と外来種(雑草)の見分け方や、土壌を乱さない手入れの技術といった専門知識を学べる点に大きな魅力がある。
ボランティアの人数は2~10名と日によって異なる。ブッシュケアの主な工程は4つ。①在来種と雑草の判別、②土壌を乱さない手作業での除草、③在来種の植樹、④人・動物・天候から守るための保護ガードの設置。成長の遅い在来種のペースに合わせることが重要であり、手がかからない自立した状態に再生するまで7年ほどかかるという。[筆者撮影]
活動頻度はグループによって異なるが、概ね毎週末の朝2〜3時間程度である。グループでの活動以外に、毎月の定例会があり、各グループの活動状況や助成金の進捗などが共有される。また、ゲストを招いての勉強会があり、さまざまな分野の専門家の話を聞くことができる。年末には親睦会も開催され、皆で1年の労をねぎらう。
医療昆虫学者を招いた吸血昆虫の生態と対策についての勉強会。年末の親睦会では各自が料理を持ち寄り、都市や自然のあれこれについて語り合う。[筆者撮影]
ここには実に多様な背景を持つ人々が集う。専門職の知識を活かす人もいれば、リタイア後に新たな楽しみを見つけた人、あるいはただ自然が好きな人など、人種や職種、参加の動機や熱量はそれぞれだ。しかし、共に1日作業をすれば環境を介してつながりが生まれる。そして、わずか数時間の作業の積み重ねが、長年かけて都市の環境を少しずつ変え、コミュニティの資産となっていく。自分たちが暮らす環境を共にケアするというこのシンプルな活動は、人と環境、人と人の間に多層的なコミュニケーションを生み出す良例なのである。
4.シティファームとパーマカルチャー
より都市的な事例に目を向けてみよう。主要な交通インフラが輻輳するエノゲラ・クリーク下流の氾濫原。ここに位置する《Northey Street City Farm》(以下、NSCF)は、都市における生態系の再生と人々の生産活動とを結び付け、それらを同時に実現しようとする実験場である。「コミュニティガーデン」ではなく「シティファーム」と掲げるその名称には、都市の中に持続可能な自立した農業システムを構築するという強いビジョンが反映されており、その運営の根幹を、自然の生態系をモデルに持続可能な暮らしをデザインするという「パーマカルチャー」の思想が支えている。
NSCFの敷地は、1974年の大洪水により壊滅的な被害を受けた住宅・工場の跡地である。1994年、パーマカルチャーの実践の場を求めていた住民グループが、行政との交渉を経て20年近く未利用地であった土地の使用権を獲得。同時に社団法人を設立し、その歩みをスタートさせた。ボランティアを主体とするN4Cとは異なり、有給のスタッフが雇用されており、ボランティアとともに環境教育や農園管理、ナーサリー(種苗所)およびマーケットの運営、各種イベントの開催など、実に幅広い活動をしている★7。広大な流域にネットワーク状に展開するブッシュケア・グループに対し、ここは都市生活と自然との接点を見出すための拠点といえよう。
NSCFの全体像。[NSCF公式サイトの資料および現地調査から筆者が作成]
ファームのデザインには、パーマカルチャーの原則であるゾーニングが導入されている★8。基本は、自分の時間や労力を最小化するために、利用頻度に基づいて効率的に配置すること。コミュニティキッチンを拠点とし、頻繁にアクセスするオフィスや家庭菜園を近くに、中間にコンポストや農園、さらにその外側に果樹園や養蜂小屋などを配置。クリーク沿いは自然環境を再生・保全するブッシュケアのゾーンとして位置づけられている。ゲートやフェンスはなく、敷地全体を自由に散策することができる。
コミュニティキッチンとオフィス。オフィスは洪水対応のため高床式であり、地階はワークショップスペースとして使われている。空調に頼らない方位の選定と自然換気、雨水を利用したガーデンベッドへの散水など、パーマカルチャーの原則を体現している。[筆者撮影]
一般向けのナーサリーと毎週日曜日のオーガニックマーケット。NSCFの重要な収入源のひとつとなっている。[筆者撮影]
5.土地との付き合い方を学ぶ
毎月1回開催されるファーム・ツアーは、一般向けのツアーであると同時に、新規ボランティアへの説明会も兼ねている。ボランティアの受け入れは平日の3日間で、それぞれ農園のメンテナンス、ブッシュケア、コンポストの管理といったように、曜日ごとに活動内容が設定されている。活動時間は9時から12時半まで。参加頻度や時間に義務はない。都市における食料自給を目的としているため、栽培されている植物は在来種にとどまらず、マンゴーやジャックフルーツといった外来の有用植物も含め、多種多様に組み合わされている。
火曜日の農園メンテナンス。ボランティアには、農園の収穫物やスーパーから譲り受けた廃棄前の食材を使ったモーニングティーとランチが提供される。毎月第4週は収穫日となっており、採れたての食材を皆で調理する。余った食材は自由に持ち帰ることができる。[筆者撮影]
ここで重要なのは、化学肥料や農薬に頼らず、除草した植物や生ごみもコンポストによって液体肥料や肥沃な土壌へと再生・循環させる体系を学ぶことにある。しかし、そこには都市ならではの課題も存在する。例えば、ブリスベン市内の古い住宅地では土壌汚染が懸念されるケースが多く、現地の土をそのまま農園に利用できない場合がある★9。そのため、野菜を育てる際は、地面から物理的に縁切りされたレイズド・ガーデンベッドを使用しなければならない。さらに、汚染の可能性がある地面の雑草とガーデンベッド内の雑草は、投入するコンポストを厳密に分けるといった細かい配慮が求められる。こうした制約は地域共通の課題であり、作業を通じて自分が暮らす環境の負の側面とも向き合いながら、土地との適切な付き合い方を実践的に学んでいくのである。
レイズド・ガーデンベッドとコンポスト。NSCFでは3層式コンポスト、設置型コンポスト、ミミズコンポストなど数種類のコンポストを使い分けている。繁殖力の強い雑草は別途タンクで液体肥料にされる。[筆者撮影]
6.広域なネットワークと細やかな配慮
いずれの事例も、行政との連携やボランティアの確保に課題がないわけではない。しかし、30年という歳月をかけて細い糸を手繰り寄せるようにさまざまな関係性が紡がれてきた意義は大きく、振り返ればそれは今後に向けた土台づくりの期間だったといえる。
都市が大きく変容しようとしている現在、これらの活動は世代交代の時期を迎えている。その歩みが教えてくれるのは、都市生活と自然を関係づける領域においては、広域なネットワークときめ細やかな配慮を同時的に持たなければならないということだ。その二重性は、通常の都市生活においてどこか失われていた時間と空間のスケールを私たちにもたらし、人と人のつながりのあり方も変えていく。それは、私的な暮らしの作法が、そのまま公なる環境のケアへと溶け込んでいくような、新しい関係性の網の目といえるかもしれない。
★1──ブリスベン市による洪水の4分類。①河川洪水:ブリスベン川本流の氾濫(数十年に一度、広域) ②クリーク洪水:支流の急激な増水(数年に一度、局地的で流速が速い) ③地表水洪水:排水能力を超えた雨水の滞留(毎年・大雨のたび) ④高潮洪水:大潮などによる海水の逆流(周期的、河口付近)。
★2──「ブッシュマン」は過酷な土地で生き抜く人々、「ブッシュタッカー」は先住民が伝統的に食してきたオーストラリア固有の動植物、「ブッシュウォーク」はハイキングを意味する。
★3──参考:Australian Association of Bush Regenerators
★4──都市の公園・森林を対象とするブッシュケアの他に、ランドケア(農地)、コーストケア(海岸)、リバーケア(川)などがある。
★5──参考:Landcare Australia
★6──2011年の大洪水を受けて策定された。ゴールとして「健全な生態系」「オープンスペースの拡充」「レジリエントな都市・建築デザイン」「コミュニティのつながりの強化」の統合が挙げられている。
★7──NSCF設立の経緯および組織体制についてはNSCF公式サイトの“Our Organisation”に詳述されている。特に教育に力を入れており、3ヶ月に及ぶパーマカルチャー・デザインコースや短期集中ワークショップ、子供向けの自然体験などプログラムが充実している。
★8──具体的には、活動の拠点となる施設(住居)を「ゾーン0」、人の手が及ばない野生の森を「ゾーン5」とし、手入れの頻度が高い順に同心円状に役割を想定する。
★9──主に問題となるのは鉛塗料。オーストラリアでは1970年以前に建設された建物で広く使用されていた。汚染状況は極めて局所的で、ある地点が安全でも、わずか30㎝先は汚染されているといったように特定が難しい。そのため都市部の家庭菜園ではレイズド・ガーデンベッドの使用が推奨されている。