会期:2025/12/11〜2025/12/13
八番館[神奈川県]
公式サイト:https://bird-park.com/

鳥公園の西尾佳織が2018年からリサーチやレクチャーパフォーマンスの創作/上演を通して取り組んできた「からゆきさんプロジェクト」。その現時点でのひとつの成果として書かれた戯曲『泳ぐ彼女は果てを見ている』がリーディング上演された(作・演出:西尾佳織)。「からゆきさん」は「19世紀後半から20世紀前半にかけて、日本から主に東南アジアやシベリアに渡り、現地の売春宿などで性産業に従事していた女性たちの総称」(当日パンフレット掲載の用語集より)。この戯曲は1915年から1920年のシンガポールの日本人娼館と1942年から1945年のクアラルンプールの慰安所を主な舞台に、からゆきさんの女性たちの視点から物語を立ち上げることを試みる。

基本的には演劇の劇作家として活動する西尾だが、これまでこのプロジェクトでは『なぜ私はここにいて、彼女たちはあそこにいるのか 〜からゆきさんをめぐる旅〜』というタイトルのもとさまざまなかたちに変奏されてきたレクチャーパフォーマンスに自ら出演するなど、ほかの作品とはやや異なるかたちで創作に取り組んできた。言い換えると、一連のプロジェクトを通して西尾はこの戯曲で初めて、事実から跳躍するかたちでからゆきさんについてのフィクションを書いたのだった。そこには書くことをめぐる倫理的な問いがあっただろう。

戯曲は「ひとは、犯した過ちを、どうして償えるでしょうか。どこが間違いだったのか、どこまで戻れば正せるのか」という言葉からはじまる。かつてからゆきさんだった老いたユキの後悔の言葉に、からゆきさんになった経緯を語る若いユキの言葉が寄り添い、やがて「もう一度選べたとしても、きっと海を渡らずにはおれなかったと思うのです」という言葉とともに舞台は1919年のシンガポールへと移る。

[撮影:西尾佳織]

今回のリーディング公演において、出演者の和田華子と稲継美保は若いユキと老いたユキを含めた複数の役を演じていた。ユキがからゆきさんとして過ごしたシンガポール時代と、軍の要請に応じて慰安所の管理人となったクアラルンプール時代。二つの時代の出来事を同じ二人の俳優の身体を通して舞台上に立ち上げることで、ユキ自身が取り込まれ反復してしまっている構造がよりはっきりと浮かび上がる演出だ。

この反復は残念ながら現在にまで引き継がれている。シンガポールの場面でのユキと客とのやりとりは、ほとんどそのまま現代の風俗店でのやりとりと言っても通用するものだ(風俗嬢に上から目線で語る客!)。そう思っていると場面は中断され、実はそれが二人の俳優が稽古している演劇の一場面だったことが明らかになる。不在の演出家の声はプロジェクターで投影される文字によって示されるのだが、ユキを演じる俳優1(稲継)にダメ出しをするその男は突如として自らの男性器を露出し、これを見てなお笑うのがユキの笑顔なのだと言ってのける。あまりのことに絶句する俳優1だったが、先ほどまで客を演じていた俳優2(和田)は「アウトだから」と言いつつ笑ってその場を流そうとするのみだ。客を演じていた俳優2には、演出家とも通じるその価値観までもがインストールされてしまったかのようだ。


[撮影:西尾佳織]

再開された稽古で演じられるのは、からゆきさんになったばかりで泣きくれるユキに先輩のミツが笑顔で客に接することを教える場面だ。俳優2が俳優1に笑って流すことを教えようとしたように、ミツはユキに生き延びるための手段として笑顔を教える。こうして大元であるはずの男が不在の場、女同士の関係のなかでさえ、男による搾取や加害を受け入れる態度は引き継がれていく。

こうして『泳ぐ彼女は果てを見ている』という作品は、まさに演劇であることを、演じるということを通して現在にまで引き継がれる「間違い」の構造を突きつける。一方で重要なのは、フィクションとして書かれているとはいえ、むしろだからこそ、ユキら「からゆきさん」たちが、ときに矛盾も抱えた、まさに生きた存在として描き出されている点だろう。言うまでもなく「からゆきさん」も一様ではなく、女同士の立場も対等ではない。例えばクアラルンプールの娼館でユキが雇っていたのは中国人であり朝鮮人だった。あるいはユキに笑顔を教えたミツは被差別部落の出身だった。そこにあった差異や加害を、なかったことにはできない。たしかに過ちは犯されたのだ。しかし真に過ちを正すべきは、償うべきは果たして誰か? ユキの問いは真摯だが、それを彼女の問題としてのみ考えてしまえば、真に正されるべき過ちは見過ごされてしまうことも忘れてはならない。

[撮影:西尾佳織]

公演は横浜の黄金町に建つ八番館という会場で行なわれた。黄金町はかつての青線地帯(非合法の売春区域)で、その意味でも上演は観客の現在と接続している。土地の歴史を知らずとも、戯曲に登場する十二番館という娼館の名は、観客にいまいるその場所の名を思い出させたはずだ。

本作は2026年以降に本公演を予定しているという。より「演じること」に焦点が当たることになるであろう本公演では、どのようにこの戯曲は立ち上がってくるだろうか。

[撮影:西尾佳織]

鑑賞日:2025/12/13(土)


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