artscapeレビュー

鳥公園『昼の街を歩く』

2022年03月15日号

会期:2022/02/27~2022/03/06

PARA[東京都]

2019年の『終わりにする、一人と一人が丘』を最後に西尾佳織が作・演出・主宰を兼ねる体制を終え、和田ながら(したため) 、蜂巣もも(グループ・野原)、三浦雨林(隣屋)の三人の演出家をアソシエイトアーティストとして迎えた鳥公園。体制変更の直後からワークショップや読書会など劇団としての活動は旺盛に展開していたものの、新型コロナウイルス感染症の影響もあり、首都圏での公演は今回が初めてとなった。

鳥公園として初の蜂巣演出作品でもある本作は被差別部落問題に関するリサーチからスタートしたもの。当初は蜂巣の希望で「リサーチから戯曲を書く西尾の劇作のプロセスに、演出家として帯同」し「様々な土地でのフィールドワークから創作を始める予定」だったプロジェクトだが「新型コロナウイルスの蔓延により計画変更を余儀なくされ、今回は書籍やオンラインでのリサーチが主と」なり、2020年12月に森下スタジオで実施された10日間のワークインプログレス(非公開)を経て今回の公演が実現した。


[撮影:三浦雨林]


戯曲からひとまず物語のみを抽出するならば『昼の街を歩く』は次のような話である。同棲中の清太郎(松本一歩)と絹子(大道朋奈)。絹子からどうやら妊娠したらしいと聞いた清太郎は一晩のあいだ失踪してしまう。帰ってきた清太郎に絹子は「昨日、なにしてた?」と問うが、謝罪ばかりで答えは得られない。清太郎は「言ってないことがある」と絹子を大阪の実家に誘い、その週末、大学で東京に出て以来の実家へと戻る。そこには姉の初美(伊藤彩里)がひとりで暮らしている。初美には、子供を堕ろし、パートナーと別れた過去があるらしい。初美は絹子を喫茶店に誘い、家のことなどを話す。帰りの新幹線で今回の帰省を振り返る清太郎と絹子。絹子に生理が来て妊娠は勘違いだったことが明らかになる。


[撮影:三浦雨林]


筋としてはシンプルだが、戯曲は帰りの新幹線の場面からはじまり、複数の時間が行きつ戻りつしながら徐々に全体像が明らかになっていく構成となっている。これまでのほとんどの西尾戯曲に組み込まれていたような非現実的な場面はなく、基本的には(現実でもありそうなという意味で)リアルな設定でのリアルな会話のみで進行していくという点で、劇作家としての西尾の新たな(個人的には意外とも思える)展開を見た。

「被差別部落問題を扱った作品」として見るならば、この戯曲は社会的な問題を個人の問題へと矮小化してしまっているようにも思える。だがこの戯曲はむしろ、被差別部落問題について考えることからスタートして、個人対個人の関係が家族、地域、社会のなかでいかに(不)可能かということを描こうとしたのだと考えるべきなのだろう。それらは別々の問題でありながら互いに絡み合い、ときに身動きが取れないほどに個人を雁字搦めにしてしまう。西尾戯曲は食事、繁茂する多肉植物、隣人との関係などのディテールを通してそのさまを描き出し、描くことによって解きほぐそうともするのだが、それについては戯曲を読んでいただきたい。ここでは蜂巣演出が何をしていたかを見ていこう。


[撮影:三浦雨林]


会場のPARAは民家をそのまま使ったイベントスペース。受付を済ませた観客は玄関を入らず、縁側と塀との間のささやかな庭で開演を待つ。時間になると雨戸が開けられ、庭から縁側越しに見える和室には、体の正面をこちらに向けた状態で横たわり積み重なる清太郎と絹子の姿がある。隣あって立つ二人がそのまま横倒しになったようなかたちだ。奇妙な状況だが、二人はどうやら新幹線の座席に並んで座っているらしい。そういえば、奥のテレビの画面には車窓の風景が映っている。やがて絹子がトイレに立つと入れ違いに初美がやってきて「半端なことして」と清太郎に苦言を呈す。 時系列的には初美の苦言は前日の実家での出来事であり、ここではそれを清太郎が回想している(と戯曲では読める)のだが、蜂巣演出では清太郎が寝そべっているところに初美がごく普通に登場することで、あたかも初美の声で清太郎が目を覚ました、とでもいうように、ここまで非現実的な体勢で交わされてきた清太郎と絹子の会話の方に夢のような手触りが与えられることになる。戯曲上では新幹線の現在から実家での出来事を回想する場面が、蜂巣演出では同時に、実家での現在から未来を夢想する場面としても成立しているのだ。過去と同じように、未来もまた現在の裡にある。個人と家との関係を描いたこの作品において、このことはとりわけ重要であると思われる。


[撮影:三浦雨林]


ここまで観ると観客は家の中へと招き入れられ、清太郎が寝そべるまさにその和室で続く場面を鑑賞する。その場面の終わり、夜中に大きな地震が起き、しかし清太郎は同棲する絹子に声をかけることなく、離れて住む姉に電話をかけながら2階への階段を上がっていってしまう。その姿は絹子のいる家と初美のいる家とが交わることを忌避するかのようだ。絹子とともに取り残された観客は清太郎を追い、家のさらに内部、2階へと上がり込むことになる。だが、たどり着いた2階は窓が開け放たれ予想外に明るい。そうして踏み込むことでしか開けない未来もあるのだとでもいうように。

本作のクリエイションは今後も継続され、2023年度には八王子のいちょうホールでの再演が予告されている。今回の蜂巣演出は「家」という空間を巧みに使い観客にその磁場を体感させるものだったが、ホールでの上演はどのようなものになるのだろうか。今後の展開も楽しみに待ちたい。


[撮影:三浦雨林]


[撮影:三浦雨林]



鳥公園:https://www.bird-park.com/
『昼の街を歩く』戯曲:https://birdpark.stores.jp/items/621034c01dca324ba5b2bae0

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