
翻訳:戸田穣
発行所:鹿島出版会
発行日:2024/12/25
公式サイト:https://kajima-publishing.co.jp/books/architecture/eh8y5zhrmtug/
サヴォワ邸──世界でもっとも有名な私邸と言っても過言ではないこの建築は、1928年にサヴォワ夫妻がル・コルビュジエに設計を依頼したことをきっかけに生まれた。本書『サヴォワ邸の明るい時』は、その孫にあたるジャン゠マルク・サヴォワ(1956-)と、イラストレーターのジャン゠フィリップ・デローム(1959-)による共著である。
さながら絵本のような、ゆったりとしたつくりの本書は、かのサヴォワ邸についてのまったく新たなドキュメントだ。世界的に有名な建築についての本となれば、ふつうは写真による「客観的な」イメージと、それを設計した建築家の思想や言葉が並べられているのが常である。これに対して本書は、ジャン゠フィリップ・デロームによる温かみのあるイラストレーションと、ジャン゠マルク・サヴォワの──いかにも身内らしい──ユーモア溢れる文章によって、サヴォワ邸の知られざる表情を生き生きと描き出している。
2016年にユネスコの世界遺産にも登録されたこの家は、もともと実業家のピエール&ウジェニー・サヴォワ夫妻がル・コルビュジエに発注したものだった。本書では、冒頭に掲げられたポートレートとともに、かれらがポワシーのこの家に移り住むまでにどのような人生を歩んできたのかが詳らかにされる。なかでも印象的なのは、このプロジェクトの「原動力」になったというウジェニーが、ル・コルビュジエに宛てた設計依頼書である。本書にも写真として掲げられているその内容は、控えめに言っても驚くべきものだ。本書の著者にしてその孫ジャン゠マルクが言うように、「祖母の要望は細かくて的確」であり、「一読して、建築家にはほとんど自由が残されていなかったように思える」(8頁)。これがけっして誇張表現でないことは、本書に含まれるその全文を読めばおのずと明らかになるだろう。その指示は、各部屋の種類や広さだけでなく、照明やコンセントの位置にまで及んでいる。この事実が示すのは、ル・コルビュジエによるこの有名な「作品」が、クライアントの細かな要望に応じるかたちで設計されたものであるということだ。
このエピソードが示すように、サヴォワ邸は、幸福の最中にあったクライアント一家が快適に暮らすための別荘にほかならなかった。しかし同時に本書は、この「明るい時」がけっして永遠のものではなかったことにも触れている。本書の後半では、暖房や防水にかんする多種多様なトラブルを伝えるウジェニーからル・コルビュジエ宛の手紙が紹介されているほか、第二次世界大戦中にドイツ軍に接収され、戦後にはなかば廃墟となり、ついにはポワシー市の学校用地として収用・解体されかけるまでの一連の出来事が淡々と語られる。
最後に著者は言う。「明るい時」を建設すること──それこそが、著者の祖父母であるピエールとウジェニーによる「ユートピア的な仕様書」だった(52頁)。だが、誰であれそのような「明るい時」をつかみとることなどできないし、それを持続させることもできない。ただサヴォワ邸という作品だけが、そのユートピアの証人であり続けるだろう……。このような締めくくりに象徴されるように、本書には保険業で成功を収めたサヴォワ家の光輝だけでなく、第二次世界大戦をはじめとする歴史の陰影もまた深く刻み込まれている。そして、ひとつの「建築」ならぬ「家」をめぐるそうした栄枯盛衰のドラマこそが、本書を魅力的なものにしている最大の要因であるように思われる。
執筆日:2026/02/12(木)