会期:2025/11/01~2026/02/15
会場:国立国際美術館[大阪府]
公式サイト:https://www.nmao.go.jp/events/event/20251101_for-a-placard/
「大衆のエネルギーを受け止められるだけのプラカードを作って見ようか、高らかな笑いのもとに星条旗を破る為のカンパニヤが組織できないだろうか? それもたった一枚のプラカードの誕生によって──だったらすばらしい。そして人工胎盤ができたら、始めて女性は、本質的に解放されるんだけれど」★1。美術家の田部光子(1933-2024)は、所属していた九州派の機関誌に「プラカードの為に」と題した文章を1961年に掲載した。田部の文章をタイトルに参照した本展は、田部の思想と作品を起点に、国家権力、抑圧的な制度、構造の不均衡性、性と生殖の規範に対する抵抗の姿勢が、現代の作家たちによってどのように継承されているかを多声的に語りかける、稀有なグループ展である。企画者の正路佐知子は、前職の福岡市美術館で学芸員を務めた際、田部光子展「希望を捨てるわけにはいかない」 (2022/01/05-03/21)を企画している。本展では、田部に加え、牛島智子、志賀理江子、金川晋吾、谷澤紗和子、飯山由貴、笹岡由梨子の計7名が参加した。
「プラカード」とは、「現代美術は何のためにあるのか」についての端的なメタファーである。作品は他者や社会に向けて掲げられたプラカードだが、単純明快なメッセージが書かれているわけではなく、複数の文脈が絡み合った複雑なテクストとして「読まれる」ものだ。言い換えれば、それは常に「他者によって読まれること」を必要とする。
また、作品は、「一枚のプラカード」として、それだけで完結するわけではない。むしろ、作品どうしの「間テクスト性」と呼ぶべき交差性によって、より豊かな文脈で読解されていく。複数のプラカード=作品が多声的に連なり、多視的な軸線を描き出す本展の展示構成は、このことをまさに可視化していた。それは同時に、「たった一枚のプラカード」の背後に潜在する無数のプラカードの存在を示唆することで、孤独や孤立を連帯の可能性へと開いていく事態でもある。本稿の前編では、田部と谷澤紗和子、田部と笹岡由梨子の作品にそれぞれ焦点を当てる。また、後編では、飯山由貴の作品群と、金川晋吾、志賀理江子の呼応関係を掘り下げる。

「プラカードのために」展示風景(国立国際美術館、2025)[撮影:山中慎太郎(Qsyum!)]
会場に入ってまず圧倒されるのは、田部が九州派時代に制作した5点組の《プラカード》と3体の《人工胎盤》が並ぶ光景だ。《プラカード》では、襖を支持体に、アフリカ大陸の形や星条旗の星とストライプが描かれ、黒人ミュージシャン、日米安保闘争、九州の炭鉱などに関連する印刷物がコラージュされている。特に、アフリカ大陸の形を描いた3点では、「ブラック」という文字の切り抜きや、雑誌から切り取った黒人の写真が重ねられ、赤褐色の毛髪(マネキンの頭髪)が垂れ下がり、黒とピンクのキスマークが無数に押し付けられており、生々しい触覚をもって迫ってくる。ここで、アフリカ大陸の形が黒人の写真のコラージュとキスマークで埋め尽くされ、大陸の西岸と東岸から毛髪が垂れ下がる1点に着目すると、大陸の形=女性器とアンダーヘアを示唆する形状として見ることができる。さらに、時代背景として、ベルギーからの独立を求めたコンゴ動乱や公民権運動を踏まえると、黒人の身体とキスマークの集積からなるアフリカ大陸の形と女性器を重ね合わせた本作は、植民地支配やレイシズムへの抵抗と、女性の性と身体に対する抑圧からの解放を重ねていると解釈できる★2。

田部光子《プラカード》(1961)、「プラカードのために」展示風景(国立国際美術館、2025)[筆者撮影]
「黒」という強く主張する色や、雑誌から荒々しく写真をちぎり取った痕跡、コラージュの異種混交性が強く訴えかけてくる田部の《プラカード》に対し、見落とされそうな「小ささ」「脆さ」「寡黙さ」でもって、「かき消されそうな声」を可視化するのが、谷澤紗和子の《ちいさいこえ》である。切り紙を表現媒体としてきた谷澤は近年、マティスや高村智恵子を参照し、女性や「手芸」を周縁化してきた西洋美術史をフェミニズム的視点から問い直している。《ちいさいこえ》は、掌に収まるほどの小さく薄い陶片に、さまざまな字体で短い言葉を刻んだ「極小のプラカード」と言える作品だ。本展でケース内に並べて展示された3点では、「NO」という言葉が一面に切り抜かれた陶片に、「わたしのこえ」と刻まれた陶片が続き、最後の一枚は「白紙」のまま、割られている。「NO」が連なる一枚でも端が欠けていたように、これらは、女性やマイノリティが上げた「傷ついた声」の可視化であり、抵抗の声を上げる行為自体に振るわれる暴力の提示でもある。

谷澤紗和子《ちいさいこえ》(2025)、「プラカードのために」展示風景(国立国際美術館、2025)[撮影:山中慎太郎(Qsyum!)]
また、本展では、田部の作品が掛けられた壁の下に、「VOICE」「わたしのなまえ」「けんり」「NO HATE」といった言葉が刻まれた谷澤の作品群がひっそりと並べられ、共存と呼応の稀有な場が形成されていた。これらの言葉は、ホワイトキューブの白い壁に溶け込むように置かれ、作品と同じ目線に身をかがめてよく目を凝らさないと、「そこに声があること」に気づくことすらできない。「プラカード」というキーワードを介した田部と谷澤の邂逅というキュレーションの采配に感銘を受けると同時に、本展では、谷澤作品の置かれた床に「観客が誤って踏まないよう、安全確保のための結界の線」が引かれ、美術館の展示の制約が作品本来の批評性を薄めてしまったことが惜しまれた。《ちいさいこえ》が初めて発表された同名の個展では、保護ケースも結界もなく、ギャラリーの床に文字通りむき出しで作品が置かれ、「気づかないまま踏みつけてしまうかもしれない」「壊したこと自体に気づかないかもしれない」という緊張感が、「私たち自身が無自覚なまま、マイノリティを抑圧する側に回ってしまう可能性」を体感させていたからだ。

谷澤紗和子《ちいさいこえ》(2023-2025)、「プラカードのために」展示風景(国立国際美術館、2025)[撮影:山中慎太郎(Qsyum!)]

「プラカードのために」展示風景(国立国際美術館、2025)[筆者撮影]
一方、女性の痛みや犠牲を当然視する家父長制的な社会構造に対して抵抗を示すのが、田部の《人工胎盤》と笹岡由梨子の映像作品である。《人工胎盤》では、切断したマネキンの腰部が白い綿で覆われ、内部に貫通した真空管から血管のように赤いコードが這っている。田部自身のつわりの経験に基づいて制作された本作は、無数の釘が打ち込まれ、つわりや出産の痛みに加えて、「母性や愛情」の名の下で母親に課される自己犠牲を痛々しく可視化する。

田部光子《人工胎盤》(1961/2004)、「プラカードのために」展示風景(国立国際美術館、2025)[撮影:山中慎太郎(Qsyum!)]
また、笹岡由梨子の《イカロスの花嫁》は、人形劇、アナログなCG、生身の人間の動きに、強烈なフレーズが耳に残る自作の歌を組み合わせ、家父長制や因習的なジェンダー観のグロテスクさを提示する映像作品である。ストーリーは、ギリシャ神話のイカロスの物語と、大正時代の抒情歌「花嫁人形」、さらに未婚で戦没した息子を弔うために花嫁人形をあの世での伴侶として奉納する東北地方の風習をキメラ的に掛け合わせている。発明家ダイダロスは、ロウ製の翼で空に飛び立つも、太陽に近づきすぎて墜落した息子のイカロスが「女を知らずに死んだ」ことを嘆き、花嫁人形ヨリコを、「お前に良く似合う両親を添えて」捧げることを思いつく。笹岡自身が演じる花嫁人形を除き、ダイダロス、イカロス、ヨリコの両親は、ギクシャクと動かされる「操り人形」であり、家父長制や因習的なジェンダー観に支配されていることを示す。「金らんどんすの 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ」という歌詞とともにヨリコはイカロスの手を取るが、「それは違うよ」という異議申し立ての声が響き、「人形」のヨリコは自らの意思を歌い上げていく。代わりに、生贄として怪物の口に葬られるのは、ダイダロスだ。「啓発せよ!」「飛べや!」というフレーズが連呼され、空に発射されるイカロスの人形の身体。家父長制や二元論的なジェンダー構造それ自体が「チープなつくりもの」であることを暴きながら、本作は、覚醒と解放を歌い上げる。ただし、ヨリコの両目と口は、それぞれ別々の実写パーツが貼り付けられ、叫べば叫ぶほど、表情のぎこちなさや歪みが増幅していくのだが。

笹岡由梨子《イカロスの花嫁》(2015-2016)、「プラカードのために」展示風景(国立国際美術館、2025)[撮影:山中慎太郎(Qsyum!)]
★1──田部光子「プラカードの為に」『九州派5』(1961)より抜粋。
★2── アフリカ大陸を描いた別の1点と、《プラカード》の2年後に制作された《たった一つの実在を求めて》について、ジェンダーと表象、反芸術とアメリカの覇権主義に対する批判という観点から分析した論考として、下記がある。井上絵美子「田部光子の今日性について」『国立国際美術館ニュース』(第259号、2025、pp.2-3)https://www.nmao.go.jp/wp-content/uploads/2025/10/news259.pdf
(後編へ)※3/5公開予定
関連レビュー
谷澤紗和子「ちいさいこえ」|高嶋慈:artscapeレビュー(2023年04月15日号)
鑑賞日:2025/10/31(金)、2026/02/13(金)