会期:2025/10/11〜2025/12/21
会場:藤沢市アートスペース[神奈川県]
公式サイト:https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/bunka/FAS/exhibition/ex76/index.html

『包丁人味平』(原作:牛次郎、1973-77年にかけ『週刊少年ジャンプ』にて連載)などグルメを軸にさまざまな作品を世に送り出してきた漫画家・ビッグ錠(1939-)と、社会的な主題をリサーチし、それを木版画にしてきた現代美術家・風間サチコ(1972-)。世代も分野も異なる両者の仕事を並置することによって、このたびの展示はいわゆる「大衆社会」について示唆に富む内容を示していた。

木版画を中心に現代社会における象徴的、または紋切り型のイメージを配置し、ポストモダン的な手法で組み合わせる風間の作品を、そういった社会性から大衆というテーマに接続するのは、比較的オーソドックスな読みだろう。しかし、それはどのようなかたちでビッグ錠の作品と関連づけることができるのだろうか。本レビューは原画の展示もされていたビッグ錠『包丁人味平』の「カレー戦争編」と、風間の《人外交差点》(2013)の比較に焦点を絞って考えてみたい。

[提供:藤沢市アートスペース/写真:熊野淳司]

『包丁人味平』はスポ根もので見られるような試合で勝敗を決める形式を応用し、その後のグルメ漫画の基本フォーマットを作り上げた作品として知られている★1。漫画史上ではそうした位置づけを与えられている同作であるが、ここで私が注目したいのは、その「大衆」への眼差しである。主人公である塩見味平は、富裕層しか食べられない高級料理ではなく、万人が美味しいと思える料理を目指しており、その目標は作中でも繰り返し言及されている。

では『包丁人味平』における大衆とは、どのようなものなのだろうか。同作が連載された1970年代中盤は、戦後の高度経済成長がひと区切りを迎えたタイミングだった。日本人の生活水準は上昇し、家電やカラーテレビ、乗用車などが多くの家庭に普及していく。つまりこのころまでに日本は「所得倍増」の掛け声のもと、多くの人々が同じモノを消費し、一定の豊かさを実現していたのである。第一次石油危機の影響で景気は一時落ち込んだものの、生産の自動化をはじめとする企業努力によってなんとか持ちこたえながら、安定成長に向かいつつあった当時は、そういった典型的な大衆像が維持されていた時代だと言ってもいいだろう。

そして『包丁人味平』において、主人公の味平が繰り返し大衆という言葉を口にするのも、そうしたイメージが前提にあると見ていいはずだ。このたびの展示においても、大衆というテーマが重要なものとして考えられていることは、『包丁人味平』から「カレー戦争編」の原画が展示されていることからも窺える。この「カレー戦争編」は、西東京市のひばりが丘駅を南北に挟む「大徳デパート」と「白銀屋」という二つの競合する百貨店の同時オープンに際し、味平とライバルがそれぞれの百貨店の中にカレー店を開店させ、店全体を巻き込んだ売り上げ対決をするというストーリーになっている。

ビッグ錠『包丁人味平』(1973-77年、週刊少年ジャンプ、集英社、原作:牛次郎)《カレー戦争“アジヘイ”開店の巻》より[提供:藤沢市アートスペース/写真:熊野淳司]

作中では味の改良や新メニューの開発、値下げなどによって何度も形勢が逆転していき、その様子は店舗へと流れていく群衆によってたびたび描写されている。このように「カレー戦争編」は、老若男女が好むカレーという料理を通じて、より評判の高い商品を好む大衆の姿が描かれているのだ。

そしてそれと同時に、「カレー戦争編」は当時進行していた小売業の変化が反映されているのも興味深い。日本では1960年代から70年代にかけて、新たに登場したスーパーマーケットが売り上げを伸ばしていき、1972年にはダイエーが、売上高で三越を抜き小売業のトップに躍り出ることになった★2。こうした勢力図の変化を受け、百貨店は差別化のために広告をインパクトあるものにしたり、商業空間やその周辺の街を劇場化していく。その完成形としてよく語られるのは、1980年代に西武グループの渋谷PARCOが仕掛けた文化戦略だ。通りに名前をつけることで、意味を与え、奇抜な広告で差異化を行なう。そのようにして、「見る場/見せる場」★3というイメージ空間をPARCOは作り上げた。「カレー戦争編」で起きているのも、そうした商業空間の記号化にほかならない。消費者たちはカレーを食べ、その味を口コミによって広めていく。そしてそれが翌日以降の客足に影響し、デパート全体の売り上げを左右する。ここにおいて百貨店は劇場化し、カレーは大衆を動員するメディアとして機能しているのだ。

ビッグ錠『包丁人味平』(1973-77年、週刊少年ジャンプ、集英社、原作:牛次郎)《カレー戦争なぐりこみ!の巻》より[提供:藤沢市アートスペース/写真:熊野淳司]

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★1──杉村啓『グルメ漫画50年史』(星海社、2017)pp.38-39
★2──吉見俊哉『ポスト戦後社会 シリーズ日本近現代史⑨』(岩波書店、2009)p.53
★3──同前、p.55

参考文献
・ビッグ錠『包丁人味平』[集英社文庫(コミック版)全12巻](原作:牛次郎、集英社、1995-96)
・武田晴人『高度成長 シリーズ日本近現代史⑧』(岩波書店、2008)
・小林絵美子編『熱気の向こうの白と黒 ビッグ錠と風間サチコ異食なふたり』(藤沢市アートスペース、2025)

鑑賞日:2025/12/16(火)