会期:2026/03/10~2026/03/15
会場:KUNST ARZT[京都府]
公式サイト:http://kunstarzt.com/Artist/FUJII/Takeru.htm

人間と動物を分かつものは何だろうか? 言語、衣服、二足歩行、火の使用、「排泄や性行為を他の個体の前で行なうことは恥ずかしい」という規律……。では、「食べること」についてはどうだろうか? 私たちは、生の食材に手づかみでかぶりつくのではなく、火を通して調理したものを食器に盛り付けて食べる(生野菜のサラダや刺身であっても器に見栄え良く盛り付けられる)。つまり、「器」とは、単なる生活道具である以上に、土という自然素材を用いつつ、人間/動物、文明/自然を弁別する装置でもある。また、「文化」の証明として、(本来の用途には不必要な)絵付けなどの装飾が器には施される。それは、「洗練された美」によって、食事を視覚的にも楽しむことに貢献すると同時に、「死肉を切り分けて焼いたり煮たりしたものを口に運んでいる」「生命維持のために別の生命の死を取り込んでいる」という事実を忘れさせてくれる。


会場風景

陶芸作家の藤井毅は、こうした「野蛮さを忘却・隠蔽するための装置」としての器の根源に着目し、器を「生と死を媒介するメディア」として捉える。《Vitality Vessel》は、羽をむしられた鶏の全身を型どりし、頭部、首、胴体、両手足をパーツ毎に磁器片で形成し、可動部をボルトとワイヤーでつなげて、プロテクターのように鶏の全身を覆った作品である。保存中/食前/食後の状態に対応した3つのタイプが作られ、磁器片をつなげてプロテクターのように全身を覆われた鶏を冷凍庫で保存中の状態、保温庫で温めている食前の状態、そして食べ終わった後の骨で復元した全身像を磁器片で覆ったものが展示された。


藤井毅《Vitality-Vessel-1》(2024)



藤井毅《Vitality-Vessel-2》(2024)

食後に残った骨で鶏の全身を復元したものは、解剖を思わせる体勢で無機質なステンレスの台に載せられ、解剖学の実験台/キッチン台という両義性を示す。よく見ると、下側の腹を覆うパーツに 高台 こうだい (皿や茶碗の底に付けられる台)が備えられ、これが「皿」であることを示す。また、磁器片の一つひとつには、高級磁器のマイセンのように刻印が押され、個別性と量産性を強調する(各部位ごとに、「鶏」の漢字をロゴマーク風にデザインした刻印とともに、アルファベットと数字が刻印されている。例えば「VV-AR-01」という刻印では、VVは作品名「Vitality Vessel」、ARは「ARM RIGHT」を示し、「01」は配置順の通し番号を示す)。《Vitality Vessel》は、食材が供される「皿」「器」であると同時に、「食べられること」を拒絶するプロテクターでもある。それは、「食べる行為における野蛮さの忘却」という矛盾を本質的に内包する器を、別の矛盾する命題へと書き替える。


藤井毅《Vitality-Vessel-3》(2024)

壺のように開口部を持ち、内部に空洞を抱えた「器」の構造はまた、人体との相似性をもつ。私たちの身体の内部空間を占める消化器官は、肉であれ野菜であれ、他の生命体の死骸で満たされている。調理された死骸を盛り付ける器から、それらを栄養吸収のために体内に取り込んだ、もうひとつの「器」へ。私たちの生は、器を介して、このアナロジカルな反復のサイクルを繰り返しているのかもしれない。あるいは、白い輝きと滑らかな光沢をもつ優雅な磁器という人造の皮膚を死骸にまとわせてカモフラージュすることで、「食べること」を日々遂行しているのかもしれない。

鑑賞日:2026/03/14(土)