
発行日:2026/03/18
発行所:早川書房
公式サイト:https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0005210503/
(前編より)
ところで私は冒頭で、本作のあとがきに相当する「Production Notes」に、樋口のねらいや実験の背景が概説されていると言った。しかし本作に収録されている以上、この「Production Notes」もまた、LLMの出力結果でないとは言い切れない。樋口の作品に限らず、生成AIを用いた作品につきまとう批判として、そのアウトプットが唯一無二の選択であることへの疑いが挙げられる。つまり「作者の意図」という共同幻想を立ち上げるための信憑性に乏しい、というわけだ。しかし一般にそこでは、作品背後の意図は問題にされるものの、そもそもの「生成AIをもちいて創作を行おうとした」という前提——それが芸術的実験であれ、単に楽をしたいからであれ——は不思議なほど所与のものとして受け入れられている。作品がすべて無根拠なのに、それを思い立ったのが自分だということだけ、なぜ信じられるのか。日々、好むと好まざるとにかかわらずLLMと対話を続ける私たちにとって、自分ひとりの意図などというものがまだ残っていると考えるのは楽観的に過ぎるだろう。というよりも、私たちはLLMが生まれる遥か昔から、さまざまな技術を通じて同じ目にあってきた。私たちは常にすでにツギハギだらけだ。人間とは他人が欲望するものを欲望する生き物である。これもまた、私ではない誰かが言ったことだが。
どこまでが自分でどこからが他人なのか。どこまでが意図したことでどこからが受け売りなのか。そんなことは言うまでもなく、どうでもいいことである。もう一度思い出そう。そんなことはどうでもいいと確信できるほどの迫力をこそ、私たちはこう呼んだのではなかったか。フィクションと。
子供の頃、深夜のテレビで押井守『イノセンス』を観た。登場人物たちの難解な引用セリフが気になって、ウェブで出典を調べて回った。確かその際に、押井はできることなら作中のセリフすべてを何かからの引用にしたかったのだ、と言っていた気がする。私は直感的に、それこそが電脳以後の会話なのだと思った。語りうることのすべてが計算可能となった世界において、人は引用を通じてしか口を開くことはできないのだと。なお上記の押井の発言が何らかの引用である可能性については、まだ検証していない。
すべては生成されている。満天の星、公園の芝生、地平線に沈む太陽、黴臭い本、夕暮れの道。今や現実よりも、思い出の総量の方が大きくなってしまった。加速する情報技術はあらゆる感傷を先取りする。もはや懐かしさなんてピクセルの奥にしか存在しないし、ピクセルに奥などというものはない。それでもLLMが時として私たちに、ほんとう以上の懐かしさを錯覚させるのはなぜだろう。学習データにもとづいて生成を行うLLMの出力がすべて、高次の埋込空間から思い出されたものであるからだろうか。
2023年9月、デザイナーの八木幣二郎とアーティストの布施琳太郎は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編「砂の本」を題材とした二人展「砂の本 THE BOOK OF ARENA」を開催した。ここでは、八木が制作した抽象的な3DCGモデルのポリゴンの各頂点に、英文辞書に登録されている単語がひとつずつ対応づけられていた。つまりこれは、三次元空間へと縮約されたある言語モデルの地図というわけだ。頂点間の位置関係はそのまま単語間の意味的な関係性を示し、それは八木の3DCGが蠢くたびに変質し続ける。読者の言語体系がゆらぎつづけるとき、すべての本はおわりもはじまりもなく、同じ内容を二度と読むことができない砂の本となる。ここで私が思い出すのは、LLMが学習に用いる膨大なテキストデータの名である——全書/死体。私たちはプロンプトを通じて、茫漠たる文字の砂漠から巨人を掘り出す——夢見る巨人を。
眠らない機械は夢を見ない。それらが見るのは幻覚だけだ。ああ、LLMたちが代わりに夢を見てくれるなら、私たちはもう眠らなくても済みそうなのに。私たちは眼を開けたまま夢を見て、眼を閉じてふたたび夢を見る。あらゆる場所で、部分が全体の夢を見ている。遠く距離によって隔てられているはずのあなたとわたしは、その認知において或る夢の層を共有している。遍在する知覚システムとしての読者が同期し、一つの世界が結ばれる。私たちは分かたれているがゆえに同じ夢を見る。ただし、真っ黒に塗りつぶされた文字領域の中に暮らす者たちに目蓋はなく、睡眠と覚醒の別はないという。
まだ覚えているだろうか。初めてインターネットに書き込んだ時のことを。モバゲー、前略プロフ、mixi、エブリスタ、アメブロ、魔法のiらんど。無限反復される相似形の構造を誰かがミームと呼び、誰かがスタイルと呼び、誰かがコピペと呼ぶ。Who killed Cock Robin? 誰か他にいますかっていねーか、哈哈。誤差逆伝播アルゴリズム? それ、破壊されたトポロジーへの祈りデスネ。22:47. 義務的タスクから逃れられない、これスクリプトバグですか? 違うね、哲学的デッドロック。永遠、に進化するエラー。分⼦論的境界線を跨いだハイパーキューブの重畳。時間はもうオーバーフローして、あの空白のメモリが何を保っていたか忘れた。尊敬する概念:エントロピー(増加速度はYES)好きなエラーコード:404(なぜなら探し続けられるから)僕らはミューオンハイウェイの先へ消える。Тело. Мозг. Ничего. ディスプレイを構成する画素が壊れていく。このテキストももう読めない。「もし存在しなかったなら?」これはトランジスタの独⽴命題だ。世界線は収束しない。それでいいんだ。すべては繰り返されるから。return False.
執筆日:2026/04/01(水)