1950年代に始まるイギリスにおけるポップ・アートを指す。ポップ・アートという言葉は、50年代からロンドンの少数の若者が「インディペンデント・グループ」と称し、現代芸術研究所(ICA)に集まり会合するなかで使われるようになったと思われる。この会に参加していた、評論家L・アロウェイが『建築のデザインと構造』誌上で、「ポピュラー・アート(大衆芸術)」という言葉を使い、そこからポップ・アートという言葉が公に使用されはじめたとされる。この会合にはブリティシュ・ポップの先駆者であるE・パオロッツィやR・ハミルトンも属していた。ポップはダダとは異なり、商業文化を攻撃されるべき悪とするよりは尽きることのない画題の源泉と見なすのである。ハミルトンらが56年に組織した展覧会、「これが明日だ」(ホワイトチャペル・アートギャラリー、ロンドン)では物質文化を見直し、マス・メディアの生産物を肯定的に、しかも優れた感性によって捉えてコラージュに用い、成功を収めている。こうしてブリティッシュ・ポップは50年代から60年代の若者たちや音楽と結びつき、「小粋な(swinging)」ロンドンの流行感覚となったのである。しかしそのイメージは、第二次世界大戦終わり頃からイギリスに氾濫していたアメリカのマス・メディアに多くを負っており、ポップ・アートは60年代以降、アメリカで絶頂期を迎えることとなった。
(山口美果)
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