「像を想う能力」。語源はラテン語のimaginatioに由来する。imaginatioとは「よく似ているが、実物とは違う」模造、コピー=imagoを産み出す能力のことであり、ゆえに現実に対して劣っている、二次的なものと考えられてきた。すでに想像力がフランス語化された17世紀の時点でも、パスカルは「人間における劣悪な部分、錯誤と虚偽の主人」と蔑視の視線を投げかけている。対するに、200年後のC・ボードレールは想像力を「諸能力の女王」とたとえ、事物を複製するその能力をきわめて肯定的な言辞で讃えている。もちろん、この想像力に対する評価の反転には、19世紀以降登場した写真や映像といった複製芸術の存在が大きく関与している。もはや「真正性」を問われない水準で推移するようになった「像」は、それ自体で価値を有するようになったのだし、昨今のヴァーチュアル・リアリティの流行も、その系譜のもとに考えることができる。ただし、想像力の評価が反転したとしても、「よく似ている、実物とは違う」模造を作り出す能力というその概念構造自体が、ほとんど変化していないことを忘れてはならない。これは、シメーシスの根幹にも関わる問題であり、宮川淳の「イマージュ」が魅惑的なのは、その美しさに陶酔しつつも、概念構造への理解を欠いていないからなのだ。
(暮沢剛巳)
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