「パーセント・プログラム」。大規模な公共建築を建設するに際して、総予算の一部を美術作品の設置・購入に振り当てることを義務付けた法案の俗称。1950年、A・マルローの提言により文化省が創設されたばかりのフランスで初めてこの法案が制定されたとき、その数値が1%であったことからこの名称が定着、以後この着想が先進各国へと波及していった。公共空間への美術作品設置を政策という観点から擁護しようとしたこの法案は、当然のことながら後のパブリックアートの台頭とも不可分の関係にある。もっともその真の先駆は、アメリカに見出すことができるだろう。というのも、アメリカの場合、公的な法案の制定は1963年と遅かったものの、ニューディール政策下の1930年代に既に、公共事業促進局が「連邦芸術事業計画」(FAR)に基づく壁画運動を推進した実績があるからだ。そしてこの運動が戦後の抽象表現主義の代表作家を生み出した事実は、一見対極に位置しているモダニズムの正統とパブリックアートとの類縁関係を物語るものとして、大いに注目に値する。
(暮沢剛巳)
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