「他の文章や事例または古人の語を引いて、自分の説のよりどころとすること」(『広辞苑』)と定義される「引用」が、美術批評の用語として特権的な響きをもっているのは、言うまでもなく宮川淳の『引用の織物』(筑摩書房、1975)によってである。コラージュやアサンブラージュといった、「引用」を軸とする技法はそれ以前からも存在したのだが、宮川による「引用」はそれらにより積極的な意味付けを与え、また批評の言説そのものも「引用」によって構成されうることさえも明らかにした。『逃走論』(
筑摩書房、1984)において、浅田彰はそれを蓮實重彦の「表層」や柄谷行人の「交通」などと同様の、ひとりの批評家の立場を代弁する重要な概念ととらえている。ところで、一般にはフランス的な印象批評に近い立場にあったとみなされている宮川だが、その批評家としての本領はアメリカの抽象表現主義の再構成にあり、「引用」もまたその思索の過程で生まれてきたものだった。その言説は先駆的だった半面、希薄な政治性が批判されることもあるが、実のところこの「引用」には1980年代の「アプロプリエーション」を先取りする側面をもっていたのである。
(暮沢剛巳)
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