視覚芸術である美術にとって、「可視性」の問題は最も古くからあるもののように思われるが、「ヴィジュアリティ」の問題が取り沙汰されるようになったのは意外と新しい。19世紀末のドイツにおいて確立された初期の美術史は、「見ること」をもっぱら文化的様態のあり方とみなし、科学的解析を拒む傾向が強かったからである。というのも、美術史という領域の学問的独立は視覚心理学との訣別によって保証されたものであったからだが、20世紀を迎えて「オルフィスム」や「キュビスム」といった視覚のメカニズムを根源から問う表現様式が出現して以降、もはや美術史が「見ること」を科学的に扱わねば、学問としての存在意義に関わるということが多くの美術史家にとって自明となった。そして現在では、視覚と身体の関連を追究したM・メルロ=ポンティの現象学や、J・ラカンの「鏡像段階」といった理論的成果が近年の「ニュー・アート・ヒストリー」にも大きな影響を与えるに至っている。このような一連の傾向は、「われ思う。ゆえにわれ見る」という映画監督J=L・ゴダールの言を待つまでもなく、「見ること」が極めて知的な行為であることを物語っている。
(暮沢剛巳)
|