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検閲

censorship
更新日
2024年03月11日

公権力をもつ行政機関が国民による表現行為や思想の内容を強制的に検査し、その発表や公開を禁止すること。日本国憲法第21条第2項で「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と明確に禁止されている。その対象とされる表現物は、出版物、映画、郵便物など広範囲に及び、むろん美術作品も含まれる。事実、主として性表現や、政治的な表現、天皇表現をめぐって検閲の権力は美術の現場にたびたび働きかけてきた。古くは、明治34年(1901)、第6回白馬会で展示された黒田清輝の《裸体婦人像》に官憲の取り締まりによって裸婦像の下半身を額縁ごと布で覆い隠すことになった「腰巻き事件」や、明治41年(1908)、第2回文展で最高賞である二等賞を受賞した朝倉文夫による男性裸体彫刻《闇》が官憲により事前に股間表現の修正を求められた事件が知られている。検閲の主体は基本的には公権力を担う行政機関だが、場合によっては「自主規制」というかたちで公立美術館が代行することもある。1986年、富山県立近代美術館で催された「86富山の美術」に出品された美術家の大浦信行による昭和天皇の図像を含む連作版画《遠近を抱えて》が展示後に同館により非公開と売却、さらに図録が焼却された「富山県立近代美術館事件」、同じく大浦の《遠近を抱えて》が沖縄県立美術館の「アトミック・サンシャインの中へin沖縄──日本国平和憲法第九条下における戦後美術」展で同館によって展示を拒否された事件などは、天皇表現をめぐる混乱を恐れた美術館が自主規制した代表的な事例である。あるいは、2014年に東京都美術館で催された現代日本彫刻作家連盟の定期展に出品された中垣克久の《時代(とき)の肖像—絶滅危惧種》が、同館により政治的なメッセージを訴えた貼り紙の撤去を求められた事件は、作品の政治的な主題がクレームを引き起こす可能性を美術館があらかじめ封じた事例である。検閲という権力の特徴は、混乱や不安を事前に回避するために、「自主規制」を名目にしながら、その主体を限りなく再生産する点にある。しかし、警察権力による検閲が断続的に継続していることに変わりはない。2014年に発生した、ろくでなし子の逮捕と起訴の事件は、特定の美術家を拘束する強権を任意に発動しうる警察権力の実態を再確認させた。これに対して何より必要なのは、こうした強権的な措置が明白な憲法違反であることを訴えることである。

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参考文献

『アート・検閲、そして天皇──「アトミック・サンシャイン」in沖縄展が隠蔽したもの』,沖縄県立美術館検閲抗議の会編,社会評論社,2011
『股間若衆—男の裸は芸術か』,木下直之,新潮社,2012
『葬られた原爆展:スミソニアンの抵抗と挫折』,フィリップ・ノビーレ編著,五月書房,1995
『富山県立近代美術館問題・全記録 裁かれた天皇コラージュ』,富山県立近代美術館問題を考える会編,桂書房,2001