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劇団四季

Gekidan-Siki
更新日
2024年03月11日

戦時中に芥川比呂志、鬼頭哲人、加藤道夫らが結成していた新演劇研究会の意思を汲んだ、慶応高校の生徒たちと東京大学仏文科の学生たちが1953年に発足した劇団。劇団名の名付け親は芥川で、中心人物は演出家の浅利慶太。初期には加藤の信奉していたジャン・ジロドゥやジャン・アヌイの作品を上演し、特にジロドゥのユマニスム(ヒューマニズム)に強く傾倒していたことを浅利は明かしている。また活動の背景には、形骸化した自然主義を体現する新劇への批判意識があった。翻訳劇を手がけ、サルトルなど現代演劇を精力的に紹介した。翻訳劇において、独特の台詞回しは「四季節」とやや批判的に呼ばれたが、外国人のもつ情感的要素を排して意味を積み上げることで、主題をはっきりさせることが目的だった。60年には、石原慎太郎《狼生きろ豚は死ね》や寺山修司の処女作《血は立ったまま眠っている》など創作劇もつくるようになる。その後、71年に越路吹雪主演の《アプローズ》、79年に《コーラスライン》、83年に《キャッツ》(1981年ロンドンで初演。原作T・S・エリオット)など海外で評判のミュージカル作品を上演しはじめた。浅利はジロドゥ作《間奏曲》などの持つ音楽的要素が、劇団四季のミュージカル的なものの萌芽であったと述べている。《キャッツ》のロングラン公演の成功以降、日本のミュージカル舞台を牽引する存在として知名度が高まる。今日では「四季メソッド」と呼ばれる母音を強く発声する演技法が知られている。

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参考文献

『浅利慶太の四季』(著述集1、2),浅利慶太,慶応義塾大学出版会,1999