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国民服

Kokumin-fuku
更新日
2024年03月11日

総動員体制期の日本において考案、着用された男性用の衣服を意味する言葉。国防色(陸軍の軍服の色:カーキ色)の上下と白い中衣(インナー)からなり、一見すると軍服のようだが、軍人でない男性によって身に着けられた衣服である。1940年1月に制定された最初の国民服は、皇紀2600年を記念して行なわれた「国民服の考案募集」(被服協会、東京日日新聞、大阪毎日新聞による共同主催、厚生省と陸軍省が後援)の入選作をもとにしたもので、異なる四種類のデザインがあった。国民服の普及を図る財団法人大日本国民服協会の設立(同年8月)を経て、同年11月1日に勅令725号として公布された「国民服令」では、デザインが統合されて「甲号」「乙号」の二種類となり、翌41年9月には、雑誌『国民服』(発行元は大日本国民服協会)も創刊される。その後、43年6月4日に閣議決定された「戦時衣生活簡素化実施要綱」において、「男子洋服ノ新規仕立ハ之ヲ国民服乙号又ハ之ニ準ズルモノニ限定スル」旨が定められ、ここに至って、国民服はより軍服に近いデザインのものに統一された。戦時に強制された装いというイメージが先行しがちであるが、「国民服令」が国民服の着用を義務付けるものではなかったこと、また、今和次郎とともに考現学に従事した吉田謙吉が42年に行なった調査結果が示すように、背広に近いデザインの甲号がネクタイやカンカン帽と組み合わされるなど、個人の志向や職業に応じた着用の実態があったことを見落としてはならない。さらに、国民服が、服装を統制することによる被服資源の確保というこの時期固有の問題に対する回答のひとつであると同時に、衣生活の合理化を目指すという点において、大正期に始まる服装改善運動の延長線上に位置づけられるものであることも重要である。

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参考文献

『国民服』2巻8号,「国民服の着用考現学」,吉田謙吉,大日本国民服協会,1942年8月
『商工政策史 第16巻』,通商産業省編,商工政策史刊行会,1972
『洋服と日本人 国民服というモード』,井上雅人,廣済堂出版,2001
『衣と風俗の100年』,「総動員体制下の衣服政策と風俗」,井上雅人,ドメス出版,2003