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「事ではなく物を描く」鶴岡政男

“Koto dehanaku Mono wo Egaku”, Masao Tsurukawa
更新日
2024年03月11日

画家の鶴岡政男に由来する言葉。雑誌『美術批評』(1954年2月号)の「座談会『事』ではなく『物』を描くということ 国立近代美術館『抽象と幻想』展に際して」において発言された。その後さまざまに解釈され、日本の戦後美術の現場に大きな影響を与えた。この座談会は、1953年に東京国立近代美術館で催された「抽象と幻想」展をめぐって、美術家の小山田二郎、駒井哲郎、斎藤義重、杉全直、鶴岡政男によって行なわれたもの。ここでの議論は、本展の印象から西洋美術の影響と日本の現実の矛盾という論点を導き出すかたちで進められたが、鶴岡は日本の美術家たちが自分たちの現実に根ざすことないまま、西洋の前衛美術を取り入れる形式主義を批判しながら、次のように発言した。「日本の絵というものは、全体に物を描かないと思うのだよ。物を……。事を描いていると思うのだ。事は物でもっと表現されなければならないのに、物を忘れて事を描こうとしている。絵というものは、一番、物で表現しなければならないと思うのだ。カンバンの絵などは事です。絶体(ママ)に物が描かれていない。わかりやすくいえば、それと同じようなことですよ」。この発言は「大きな共鳴をよんで若い美術家の合言葉に」(針生一郎)なり、当時の読者に「状況を切り裂くような名言」(峯村敏明)として受け取られたといわれている。ところが鶴岡のいう「事」と「物」がそれぞれ何を示しているのか必ずしも明確でないことが、さまざまな解釈や憶測をもたらすことになった。たんなるマテリアリズムが賞揚されたり、「人間の部品化された状況の図解のような作品と、材質や既製品への新しい呪物崇拝の風潮が生じたのである」(針生一郎)。いずれにせよ、そうした誤解や混乱の要因のひとつとして「事ではなく物を描く」という、この座談会のタイトルがあるように思われる。なぜなら、鶴岡の真意は、その発言内容を吟味してみれば一目瞭然であるように、「事」の否定と「物」の肯定ではなく、後者によって前者を表現することにあるからだ。

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参考文献

『美術批評』1954年2月号,「座談会『事』ではなく『物』を描くということ 国立近代美術館『抽象と幻想』展に際して」,小山田二郎、駒井哲郎、斎藤義重、杉全直、鶴岡政男,美術出版社
『美術ジャーナル』1963年1月号,「座談会「戦後日本の美術の底流 戦後美術(下)」,色研
『戦後美術盛衰史』,針生一郎,東京書籍,1979
『1953年ライトアップ』展カタログ,「触覚のリアリズム 噴出したもうひとつの日本」,峯村敏明,目黒区美術館、多摩美術大学,1996
『群馬県立館林美術館研究紀要』第5号,「再考『事ではなく物を描く』 鶴岡政男の発言を巡って」,徳江庸行,群馬県立館林美術館,2007