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写真画

Photographic Image
更新日
2024年03月11日

写真画には、木下直之によれば、写真を模した絵画と、絵画を撮影した写真という、二つの方向があるという。前者の写真画は、「絹画」や「真画」とも、また主に需要が横浜であったため「横浜絵」とも呼ばれた。最も知られているのは五姓田芳柳(1827-1892)率いる五姓田工房による作品群であろう。芳柳は次男・義松(1855-1915)をチャールズ・ワーグマンに入門させ、自身は門人として倉持子之吉(のち二世芳柳)、山本芳翠、平木正次らを抱え、横浜に居を構えた。写真画の元祖が芳柳かどうかは定かでないが、早くから西洋画法を習得していた芳柳は、写真画の注文を一手に引き受け、同業者のおよばないほど活況を呈したという。当時の写真には、絵画に比べ、色彩はモノクロであり、退色しやすく、大きく引き延ばすことが難しいという欠点があった。写真画は写真のようなリアルさを持ち、かつ以上の欠点を埋めることができ、さらに、外国人向けのお土産としても重宝された。一方、後者の写真画、つまり絵画を撮影した写真とは、イタリア人画家エドワルド・キョッソーネが描いたコンテ画を、写真師・丸木利陽が撮影し、新たに制作された1888年の御真影を指す。写真画とは、明治期における写真と絵画の密接な関係を示す、貴重な事例であると言えるだろう。

補足情報

参考文献

The History of Japanese Photography,The Early Years of Japanese Photography,Kinoshita Naoyuki,Yale University Press,2003
『岩波近代日本の美術4 写真画論──写真と絵画の結婚』,木下直之,岩波書店,1996
『〈写真と絵画〉のアルケオロジー』,伊藤俊治,白水社,1987
『特別展 五姓田のすべて─近代絵画への架け橋』,神奈川県立歴史博物館/岡山県立美術館,2008
『生誕150年 二世五姓田芳柳──その知られざる画業』,さしま郷土館ミューズ,2014
『幕末明治 横浜写真館物語』,斎藤多喜夫,吉川弘文館,2004