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白樺派

Shirakaba-ha
更新日
2024年03月11日

狭義には、雑誌『白樺』(1910年4月-1923年8月)の同人、有島武郎、武者小路実篤、児島喜久雄、柳宗悦などからなる、華族および華族に準ずる階層の文学者たちを指す。広義には、『白樺』に影響を受けた、文学者、美術家、そして無名の青年たちを含む、大正期の文学と美術が交わる大きな潮流を指す。美術史では、『白樺』における西洋美術の紹介と同誌の表紙も飾った岸田劉生の活動が知られる。『白樺』誌上では、デューラー、ビアズリー、同時代のロダンの彫刻、セザンヌらポスト印象派(当時は後期印象派と呼ばれた)の作品を図版で紹介し、青年画家たちに大きな影響を与えた。また、同人たちはロダンから送られた彫刻などから美術館建設を構想し、1921年3月には白樺美術館第1回展覧会を開催した。一方、岸田は、ポスト印象主義の影響が濃いフュウザン会(1912-1913)、デューラーの細密描写の影響が強い草土社(1915-1922)を組織し、「内なる美」を追求した造型を発表した。ただし、白樺派の美術としては、岸田の仲間でもあった萬鉄五郎による表現主義的あるいはキュビスム的な表現、それに『白樺』読者に過ぎなかった村山槐多のデカダンで素朴な絵画も含まれることがある。それゆえその内実は一様ではないが、高村光太郎による芸術評論「緑色の太陽」(『スバル』1910年4月号に収録)につうじるような、個人主義や生命の賛美を謳う理想主義的な思想によって特徴付けられる。

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参考文献

「『白樺』誕生100年 白樺派の愛した美術」展カタログ,読売新聞大阪本社,2009
「白樺派と漱石 『白樺』創刊100年」展カタログ,調布市武者小路実篤記念館運営事業団,2010