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青龍社

Seiryu-sha
更新日
2024年03月11日

昭和期の日本画団体。1929(昭和4)年、日本画家の川端龍子が中心となって結成し、東京府美術館で第1回「青龍社」展を開催した。龍子は始め洋画を学び、13年には研鑽のため渡米したが、帰国後は日本画に転じ、院展に属した。しかし、その新古典的作風に飽きたらず、同展を結成するに至る。「青龍社」展は彼が提唱した「会場芸術」という概念によって知られる。それは、従来の床の間に飾るための小さく優雅な日本画から脱却し、近代的な空間にふさわしい大画面の日本画の確立を目指すものであり、美術と民衆を近づけることをも意図していた。33年より公募制となり年2回の展覧会を開催。主な参加者に、福田豊四郎、山崎豊、横山操らがいる。35年には龍子は帝展の審査員にも加わった。戦時下においては、龍子たちの迫力ある日本画は戦争美術の重要な一翼を占めこととなった。日本画の革新を行なった団体であるが、龍子ひとりの求心力によって結束していたため、66年に龍子の死去に伴って解散した。62年に東京・大森に龍子自身が設計した龍子記念館がつくられ、現在は大田区の施設となっている。

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補足情報

参考文献

東京文化財研究所編,『昭和期美術展覧会出品目録 戦前編』,中央公論美術出版,2006
「川端龍子 生誕一二〇年」展カタログ,毎日新聞社,2005
『青竜社とともに 竜子画業二十五年』,川端龍子、藤本韶三編,美術出版社,1953