タケミヤ画廊と瀧口修造
- Takemiya Gallery and Shuzo Takiguchi
- 更新日
- 2024年03月11日
タケミヤ画廊は1951年から57年まで東京・神田の駿河台下に存在した美術画廊である。瀧口修造と提携して短期間に208回の展覧会を開催し、美術史に名前を残した伝説の画廊である。第二次世界大戦後には、現代美術の専門画廊が東京に出現し、批評家とタイアップを行なって若手美術家の売り出すようになった。タケミヤ画廊はそうした新興画廊のひとつであり、筧正人が神田にあった竹見屋画材店を再興するにあたって、新人のための無料画廊を併設することでスタートした。タケミヤ画廊は、阿部展也や鶴岡政男の推薦を受けて、瀧口に作家の選択と斡旋を依頼した。そして、毎月10日間ずつ3回の個展ないしグループ展を5年10カ月にわたって続けた。タケミヤ画廊で展覧会を開催したのは、既存画壇から距離を置いてアンデパンダン展などで作品を発表していた若手が中心であり、そのなかには野見山曉治、河原温、草間彌生などがいた。また、タケミヤ画廊でデビューを飾った美術家には、靉嘔や池田満寿夫がいた。タケミヤ画廊は主に経済的な理由から57年4月に閉廊した。しかし、短期間に多数の新人を発掘し、既存の画壇展や単なる貸画廊とは異なる批評家主導の展覧会の方向性を示したという点で、美術界に与えた影響は極めて大きい。瀧口の晩年に交流を持った佐谷画廊の佐谷和彦は、81年から彼の命日である7月に合わせて毎年「オマージュ瀧口修造」展を開催し、瀧口とタケミヤ画廊の業績を広く紹介した。
補足情報
参考文献
『コレクション瀧口修造7 実験工房・タケミヤ画廊とアンデパンダン』,みすず書房,1992
「瀧口修造とタケミヤ画廊」展カタログ,佐谷画廊,2005