ダーティ・リアリズム
- Dirty Realism
- 更新日
- 2024年03月11日
後期資本主義の「汚れた現実」を描き出したサイバーパンク文学において用いられた「ダーティ・リアリズム」という概念は、建築批評家のリアンヌ・ルフェーヴルによって、建築に適用され、現代都市空間の現実や1980年代以降に登場した建築空間の傾向を巡る議論に展開した。「汚れた現実」と呼ばれる経済的な必要悪によって汚された都市のイメージ──鎖状フェンスや堆積した産業廃棄物、駐車場、ガレージ、無個性な高層ビルなどの要素──をコラージュし、建築をそうした環境に同化させる方法を、ルフェーヴルは映画『ブレードランナー』(1982)の猥雑な都市像を引き合いに出しながら、レム・コールハース、フランク・ゲーリー、ベルナール・チュミ、ザハ・ハディドなどの建築に共通して見出した。それを受けた文芸評論家のフレドリック・ジェイムソンは、後期資本主義の都市空間において対立的な差異や他者性は弱体化し、階級的な市民社会は終焉したことを指摘しながら、ポストモダンの時代における全体性の意味を問うた。コールハースの「フランス国会図書館」案や「ゼーブルッへ海上交易センター」案を例に、ジェイムソンは、「ビッグネス」というコールハースの概念が自らのなかに世界全体を含み込もうとする意思に形を与えたと指摘し、それをル・コルビュジエの本質主義的な指向と比較して「ダーティな建築」であると批判的に考察した。さらにジェイムソンは、「ビッグネス」という言葉を使う以前からコールハースが、『錯乱のニューヨーク』(1995)においてすでに、ダーティな視点を持っていたと指摘している。
補足情報
参考文献
『時間の種子 ポストモダンと冷戦以後のユートピア』,フレドリック・ジェイムソン,青土社,1998
『10+1』No.1,「ヨーロッパ現代建築のダーティ・リアリズム メイキング・ザ・ストーン・ストーニー」,リアンヌ・ルフェーヴル(岡田哲史訳),INAX出版,1994
『錯乱のニューヨーク』,レム・コールハース(鈴木圭介訳),ちくま学芸文庫,1999