ディスクレパン映画
- Discrepant Cinema(英), Cinéma discrépant(仏)
- 更新日
- 2024年03月11日
「ディスクレパン」とは、1940年代後半から50年代にかけてパリを中心に興ったアヴァンギャルド芸術運動であるレトリスムの中心概念のひとつで、「矛盾した、食い違った」という意味。レトリスムのディスクレパン映画は、既成の宣伝映画やテキストの意味を組み替えた引用、映像と音声の非同期、フィルムへのスクラッチや直接的な彩色、フリッカーや静止画の使用、通常の上映形式の否定、哲学的ダイアローグ、映画についての自己言及的批判、観客への直接的な挑発など、さまざまに既存の映画的な文法を変革する試みを行ない、映像を使用した映像批判の先駆となった。最初にディスクレパンの方法を使って作られた作品は、イジドール・イズー『涎と永遠についての概論』(1951)で、同作品で助監督であったモーリス・ルメートルは、同年自身の監督作品『映画はもう始まったか』(1951)において、さらに徹底させたディスクレパン映画を完成させる。『涎と永遠…』はジャン・コクトーに支持され、それを見たギー・ドゥボールがレトリスムに加入した。なかでもルメートルは数多くのディスクレパン映画を制作し、50年代から現代に至るまでフランスにおけるアヴァンギャルド映画のパイオニアであり続ける。その方法はスタン・ブラッケージなどのアメリカのアンダーグラウンド映画や、ジャン=リュック・ゴダールらのヌーヴェル・ヴァーグに影響を与え、今日ではVJ(ヴィデオ・ジョッキー)やヴィデオ・アートなどに見られる映像のリミックスやノイズ的手法の先駆けといえよう。ただ、それを単に先駆的なアヴァンギャルド運動としてのみとらえるのは皮相的であり、メディアを利用したメディア状況の批判という情報社会時代芸術の形式=方法を、初めて明確に示したものであった。
補足情報
参考文献
JEUNE,DURE ET PURE! – Une histoire du cinéma d’avant-garde et expérimental en France,Nicole Brenez,Christian Lebrat,Cinémathèque Française,2000
Traite de bave et d’eternite de Isidore Isou,Frederi
『映画に反対して』,ギー・ドゥボール(木下誠訳),現代思潮社,1999