『東京パック』
- Tokyo Puck
- 更新日
- 2024年03月11日
明治末期から、大正、昭和にかけて断続的に発行された漫画誌。編集主体の変遷ごとに第一次から第四次までの四つの期間に分けられる。第一次『東京パック』は、1905年に有楽社をスポンサーとして漫画家の北沢楽天が創刊し、多色刷りの大判漫画誌として大評判となった。B4判の表紙と見開き頁のタブローのごとき大画面は当時斬新であり、後に日本画家となる川端龍子、漫画家の下川凹天などもかかわった。その人気から類似雑誌も数多く生まれ、『東京パック』を含めた漫画誌は中国大陸、朝鮮、台湾などでも販売されるほどであった。12年に有楽社社主の借金が原因で雑誌を売り渡すと楽天が退社し、第二次『東京パック』が始まるが、不振のうちに15年に停刊した。その後19年には楽天が東京パック社を創設、第三次『東京パック』を刊行し、新進の大正期の漫画家を集めることに成功するも、23年に終わる。28年からの第四次『東京パック』は、第三次の編集者下田憲一郎が東京パック社を買い取って始まった。その誌面では、柳瀬正夢、岡本唐貴らプロレタリア美術の画家たちと下川凹天、小野佐世男らエロ・グロ・ナンセンスの漫画家たちが共存し、さらに二科会の向井潤吉なども時折参加するなど、豪華さを誇っていた。下田が蟹による食中毒によって突然死したことで第四次まで断続したこの漫画誌は41年に四度目の停刊となった。
補足情報
参考文献
『漫画雑誌博物館 明治時代編 東京パック1(明治期)』,清水勲監修,国書刊行会,1986
『漫画雑誌博物館 大正時代編 東京パック2』,清水勲監修,国書刊行会,1986
『漫画雑誌博物館 昭和時代編 東京パック3』,清水勲監修,国書刊行会,1987