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ドナウエッシンゲン音楽祭

Donaueschinger Musiktage(独),Donaueschingen Music Festival(英)
更新日
2024年03月11日

ドイツのドナウエッシンゲンで毎年開催される音楽祭。何度かの改称を経て、正式名称は「ドナウエッシンゲン音楽の日々」だが、「ドナウエッシンゲン音楽祭」と呼ばれることが多い。ヒュルステンブルグ家の支援によって1921年に始まったこの音楽祭は、現代音楽に焦点を当てた音楽祭のなかでは最も古い歴史を持ち、プログラムの大半が初演曲で構成されている。21-26年までJ・ハースとP・ヒンデミットが運営に従事していた。当時のプログラムを見てみると、第一次世界大戦後の社会情勢をふまえて発展した実用音楽の影響も少なくなく、同時代作曲家の室内楽、合唱曲、室内オペラに力を入れていたことがわかる。珍しい試みとしては、26年にはヒンデミットやE・トッホらによる自動演奏楽器のための新作特集が挙げられる。34-39年はナチスの文化政策の監視下で、音楽祭の当初の理念とは対極にある、古楽を中心とした懐古的なプログラムが組まれた。このような事情から音楽祭の名声は一旦、失墜した。その間、47年にダルムシュタット夏季現代音楽講習会が始まり、現代音楽シーンの中心地はダルムシュタットに取って替わられたが、1950年頃からドナウエッシンゲン音楽祭は活気を取り戻し、54年にはJ・ケージやE・ブラウンらのアメリカ人作曲家が登場した。すでにアメリカ実験音楽の潮流をとり入れ、また、アジアの作曲家も積極的に招聘していたダルムシュタットに遅れをとるかたちになったが、ドナウエッシンゲン音楽祭はO・メシアン《Chronochromie》(1960)、K・シュトックハウゼン《Mantra》(1970)など、最新鋭の作品を次々と委嘱、初演し、音楽界に大きな影響を与えている。80年代以降はライヴ・エレクトロニクスやサウンド・インスタレーションにも積極的で、93年にはナム・ジュン・パイクの《Video Opera》が初演された。現在、音楽祭は南西ドイツ放送の主催によって、ドナウエッシンゲンの複数の会場に分かれて開催されている。

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参考文献

The New Grove Dictionary of Music and Musicians 2nd edition,“Donaueschingen”,Oxford University Press,2004