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日本万国博覧会

Japan World Exposition
更新日
2024年03月11日

大阪万博、EXPO’70。1970年に開催されたアジア初の国際博覧会。事務局が掲げた統一テーマ「人類の進歩と調和」は当事社会問題化しつつあった公害も踏まえて経済成長の生み出すひずみにも目を向けてはいたが、結果はテクノロジーの恩恵を高らかに謳った一大テーマパークの様相を呈した。アポロ11号が持ち帰った「月の石」を目玉として万博史上最高の6,421万人を動員。この記録は2010年上海万博の7,278万人に破られたものの、当時の日本人口1億400万人との比率を見れば驚異的な数字。丹下健三やメタボリストら建築家の活躍の傍ら、67年のモントリオール万博を参考に具体美術協会をはじめとして多くの美術家が参加。反面、国家のイデオロギー装置としてアーティストや学生からの批判(反博)も大きかった。この大イヴェントと同じ年に「人間と物質」展が開催されていることは意外にも思われるが、前者の国家権力主導による祝祭的華やかさと、後者の反権力意識を多分に孕んだ静けさは表裏一体の動向といえる。大阪万博は、高度経済成長がピークを迎え、60年安保から引き続いた「政治の季節」に区切りがついた70年という転換点を象徴するイヴェントでもあった。会期後の解体の様をヤノベケンジは「未来の廃墟」と呼んだが、かつて丹下の大屋根を突き破っていた岡本太郎の《太陽の塔》は孤立し、菊竹清訓設計のエキスポタワーも解体された今、当時の姿は見る影も無い。万博と美術をめぐるテーマは研究の進んでいる分野だが、2005年の愛知万博(愛・地球博)でもアートが盛んに活用されたことを思えば過去の問題と片付けることはできまい。

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参考文献

「岡本太郎 EXPO’70 太陽の塔からのメッセージ」展カタログ,川崎市岡本太郎美術館,2000
『日本万国博覧会概要』,日本万国博覧会協会,1966
『日本万国博覧会公式記録』第1-3巻,日本万国博覧会記念協会,1972
『戦争と万博』,椹木野衣,美術出版社,2005