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日本美術及工芸統制協会・日本美術報国会

Nihon Bijutsu Oyobi Kougei Tousei Kyoukai and Nihon Bijutsu Houkokukai
更新日
2024年03月11日

1943年に太平洋戦争翼賛のために組織された全美術家の統制団体。38年の国家総動員法の公布によって、絵具や彫刻制作のための銅を含めた資材の使用制限が行なわれるようになった。同年には不足金属回収運動によって、既存の銅像が供出されることもあった。以来、洋画家、日本画家、彫刻家、工芸家たちはそれぞれ自主規制のための翼賛的な団体を組織して、制作のための資材の確保に努めていたが、43年5月に日本美術及工芸統制協会(美統)と日本美術報国会(美報)の二つの組織に集約された。美統は美術制作資材の統制を行なうものであり、美報は前年に組織された文学報国会に倣ったものであるが、両者は表裏一体の組織として戦争美術の振興すなわち「彩管(=絵具)報国」に貢献した。美術家は、これらの組織に加入しなければ作品制作のための資材配給を得られないという事態になっていた。表現としては、当時耐久性において信頼のおける絵具が茶系色に限られた。そのために藤田嗣治の戦争画に茶系色が多用され、そのほか多くの戦争画にも同様の茶系のモノクローム絵画が増えたといわれる。美統と美報は敗戦とともに解散。美統理事長の児玉希望や美報会長の横山大観といった日本画家は、戦後に「美術家の節操論争」で一時的に責任を追及されただけで済んだ。一方で洋画による戦争画を創出してリードした藤田嗣治は日本国籍を捨て、以後フランスに永住することとなった。

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参考文献

『絵描きと戦争』,菊畑茂久馬,海鳥社,1993
『戦争と美術 1937-1945』,針生一郎、椹木野衣ほか,国書刊行会,2007
『戦争と芸術 美の恐怖と幻影』,京都造形芸術大学国際藝術センター,2007
『戦後美術盛衰史』,針生一郎,東京書籍,1979
『近代画説』13号,「戦時下における美術制作資材統制団体について」,迫内祐司,明治美術学会,2004