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美共闘

Bikyoto
更新日
2024年03月11日

全国的な学園紛争のさなか、1969年7月に多摩美術大学の学生により結成され、反体制運動を展開した「美術家共闘会議」の略称。堀浩哉が議長を務め、刀根康尚、彦坂尚嘉、宮本隆司、石内都、山中信夫らが参加した。70年以降、次第に学園紛争が収束していくと、美共闘は政治闘争から後退を図り、71年には「美共闘Revolution委員会」を新たに結成。闘争の対象を体制変革から美術表現へと転換させ、70年代をとおして活動した。具体的には、機関誌『美術史評』の発行や、メンバーが美術館や画廊以外の場所で個展を行なうことをとおして、歴史のなかで美術表現が制度化されてしまったことを痛烈に批判。特に後者は、オフ・ミュージアムという概念の下で、反芸術世代が美術館から安易に離脱したことに対して、制度化された場所の外に「内なる美術館」を発見することで、表現や制作を問い返そうとする試みだった。また、60年代末から多くの若手作家を巻き込んで展開され、当時大きな影響力を持っていたもの派も、彼らの標的となった。もの派を理論的に支えた中心作家、李禹煥の「世界―構造」論に、彦坂は論文「李禹煥批判 〈表現〉の内的危機としてのファシズム」を発表して反論した。

補足情報

参考文献

『現代美術逸脱史 1945~1985』,千葉成夫,晶文社,1986
『日本・現代・美術』,椹木野衣,新潮社,1998