Artwords®

福沢一郎・瀧口修造の拘留

Arrest of Fukuzawa Ichiro and Takiguchi Shuzo
更新日
2024年03月11日

アジア・太平洋戦争期に起きた美術への弾圧のひとつ。シュルレアリストに対する弾圧は幾つもあったが、美術史では特に1941年4月5日に美術評論家瀧口修造と美術文化協会を主宰する画家福沢一郎の二人が検挙され、約7カ月間の拘留を受けた事件が知られる。警察側は、反体制的思想である共産主義とシュルレアリスムのつながりを疑っていた。フランスでは、シュルレアリスムと共産主義の交わりは一様ではなかったが、シュルレアリストの主導者であったアンドレ・ブルトンが共産主義との共闘を表明し、ロシアの革命家レフ・トロツキーらと親交を結んでいた。日本では、美術文化協会には旧プロレタリア美術運動の出身者が参加していたこともあって、特高警察は同会を結成時(1939)から監視していた。また、当時の多くの若い美術学生たちが、共産主義への憧れを抱いていたことも確かである。しかし、特にこの瀧口と福沢において、日本共産党との関わりや共産主義への共感があったわけではない。にもかかわらずこの二人がシュルレアリスムの中心的な人物という理由で突然検挙・拘留されたことは、彼らを慕っていた多くの若い美術家たちにも大きな衝撃と不安を与えた。この事件ののち、美術文化協会は翼賛的な事業を積極的に行なうようになってゆく。

著者

補足情報

参考文献

『日本のシュールリアリズム:1925-1945』,名古屋市美術館、每日新聞社,1990
『アヴァンギャルドの戦争体験―松本竣介、瀧口修造そして画学生たち』(新装版),小沢節子,青木書店,2004