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《みんなの家》

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更新日
2024年03月11日

2011年3月11日の東日本大震災で被災した地域のために、複数の建築家たちが進めている復興支援プロジェクト。震災直後、建築家の伊東豊雄(1941-)が隈研吾(1954-)、妹島和世(1956-)、内藤廣(1950-)、山本理顕(1945-)と共に発足した「帰心の会」が中心となり、住民同士の交流の拠点を失った被災地に小規模な集会所を提供する。震災発生7カ月後の2011年10月に完成した、宮城県仙台市宮城野区における《みんなの家》をはじめ、被災地各地で建てられている。釜石市では山本、東松島市では大西麻貴(1983-)やSANAA(妹島和世+西沢立衛)、そして岩手県陸前高田市では伊東と乾久美子(1969-)、平田晃久(1971-)、藤本壮介(1971-)が協働で《みんなの家》を手がけた。直径60cmの丸太が立ち並ぶ陸前高田の《みんなの家》は、その設計プロセスのドキュメントが第13回ヴェネツィア建築ビエンナーレ(2012)に出展され、金獅子賞を獲得している。《みんなの家》の活動のなかで、伊東は、建築家が自身の「作品」に固執するあまり、一般社会との接点を喪失してしまってきたことを批判する。宮城野区の《みんなの家》は切妻屋根と畳敷きの「平凡」な木造家屋であり、建築家の独創性を抑制することで、被災地の人々に広く開かれた建築が目指された。また、陸前高田の《みんなの家》においても、建築家と住民が積極的にコミュニケーションをとりながら設計を進めることで、建築を建築家の個(エゴ)から解放することが意図されている。

著者

補足情報

参考文献

『ここに、建築は、可能か』,伊東豊雄,乾久美子,藤本壮介
『あの日からの建築』,伊東豊雄,集英社,2012
『3.11/After 記憶と再生へのプロセス』,五十嵐太郎監修,LIXIL出版,2012