《窯象》の生まれそもそもは、バングラデシュにあると昨日書いた。今日はその背景を少し書こうと思う。そしてこの背景を理解すれば、椿昇がTAP2004で《窯象》を展示した通称「椿忍術研究所」他において、竹酢液その他の物販に励み、『資金調達』した真の意味が見えてくる(なんてね)。
というわけで、あえて流れをフローチャート風に(そいうえば、来週12日、国立国際の中井学芸員と京都造形大学で双方がコミッショナーをしたバングラデシュ・ビエンナーレとインド・トリエンナーレにつてい講義することなっている)。
1)2003年夏。夏休み中にコミッショナーに選出された報告を受ける。
2)会場の見取り図から作家の選定に入り、3作家に依頼をし出品作品の協議にはいる。
3)同時に過去に事例から、今回も現地での「素材」を用いた作品を是非提示したいと考える。日本円で100万円用意すれば可能。仮に10倍としても1000万円。日本でもそこそこのことができるまとまった額だ。現地の物価は、実感としては1/20。
4)2003年9月末、膨大な予習により予備知識に溢れた状態になった椿さんと彼のアシスタント達と現地入りする。
5)バングラデシュに多くの知識がないくてもたとえば雨期になると国の多くが水に沈む、洪水の国であることは知っているとおもう。
6)現地の優秀なガイド通訳から、バングラデシュにおける「水」の問題に関するより正しい知識を得る。
7)帰国後、椿昇はマングローブ林乱伐が引き起こしすサイクロンによる高潮被害と井戸水のヒ素含有という「水」をテーマにした 「『ラジカル・アクア』プロジェクト宣言」が届く。
8)諸悪の根元となっている水の負(−)の連鎖を正(+)の連鎖にかえることを標榜するもの。
9)水の濾過のために炭を使う。その炭を自生する竹を使ってつくる。椿なりのフェアトレードのあり方を示したもだ。
10)2004年1月バングラデシュ・ビエンナーレの設営の為に2度目の現地入り。この時、彼の地で準備したとても小さな《窯》で炭を焼き、ステイトメットと併せて展示した。とてもささやかな一歩であった。
11)帰国後、国内外で炭焼きを実施。
12)今回、初めてUNBOYの炭焼きロボットとしてデザインした《窯象》がコバックの手により製作され、同時にプロジェクトタイトル《ラジカル・カーボン》が発表となる。
といった具合。貧困から脱するには教育を受けるしかないが、そのためのきっかけを得ることの一つに、安全な水を口にできるようにすること、また、そのための素材を加工して対価を得ること。椿は、バングラディシュの貧困の連鎖を彼は何とかしたいと考えているわけなのだ。
その方法を教えるための絵本を作るための軍資金が物販の売り上げ金であり、次の展開はそれを届けにバングラディシュに再び出向くことなのである。
ちなみに、椿昇はこのとき優秀賞(Honorable Mention Award) を《ペンタ》で受賞している。
壁に貼られた受賞の証。