Dialogue Tour 2010
コマーシャルギャラリー?
後々田──ここまでは梅香堂前史みたいな話でした。これからが本題ですよ。
学校の契約打ち切りは1年前にわかりますから、1年間かけて仕事を探しました。大阪に個人的な縁もあって、この際だから関西方面でそういう仕事をしようと、学芸員を中心にいろいろ探して、公募にも応募しました。でも、ことごとくだめだったんですね。仕事がない。一応それなりのキャリアはあるわけですよ、だからはじめはなにかはあるだろうくらいに楽観視していたわけです。それがもう、全然ない。いまの美術館というのはもう人を雇わないんですよ。もし雇うとしても若いピチピチした、服部くんみたいな人を安く雇うわけですよ(笑)。僕みたいな、とうが立って、なにか言ったら文句をつけそうな、こんなおっさんは絶対に雇わない。社会的にはもう45歳過ぎたら難しいです。ハローワークの年齢区分というのは45歳から60歳まで一緒なんです。だから、45歳より上はもう仕事がないと言っているのに近い。
もうこれは本当にないなと思って、いったい自分になにができるんだろうと考えたときにひとつ出てきたのが、ギャラリーというかアートスペース。それが去年の春くらいですよね。でもじつは、私は美術館関係ではキャリアが長いのですが、いわゆる画廊とかギャラリーで働いたことはないし、絵を売ったこともない。買ったことはありますけど、税金でです。売ったことも買ったこともないような人間がそんなものを始めるというのはおかしいのですが、これだったらもしかしたら自分にもできるかもしれないと。それで、始めたわけです。
やっぱりそこらへんがたぶん、今回の8カ所のほかの若者のかたたちと出自が違うというか、まったくスタートラインが違う。ほかの人たちはたぶんもっとストレートに始めるのかな。
服部浩之──なにをもってストレートと言うのかはちょっとわかんないですけど。
後々田──なにかほかの仕事をしていてそこでできないことをやるとか、いろいろあると思うんですよ。そういうのとはちょっと違って、ある意味もう切羽詰って、ほかにやれることがないというかな、それに近い状況で始めたというわけです。
きっかけはそういうことですが、もともと私自身が美術でも完全なファインアート系ではない、領域がちょっと違うようなものに対して興味を持っていたこともあって、ホワイトキューブや画廊できれいな絵を飾るとかそんなノリではないだろうと。そういったちょっと違う路線で攻めていくときに、大阪という土地柄は非常におもしろいんじゃないかと感じていました。大阪というのはもちろんいろんな魅力があるわけですけれども、二重にコンプレックスを抱えている都市ですよね。ひとつは東京に対してのコンプレックス。首都に対して大阪というのは日本で2番目の存在でしかないという。それから、真上に文化・伝統の中心地としての京都を抱えていています。やっぱりそういったところでやっていくのはすごくおもしろいんじゃないかと。そんなことも考えながら梅香堂をはじめたわけです。
梅香堂は、大阪の此花区梅香という地域にあります。此花区梅香は、大阪のなかでも「大阪オブ大阪」とか言われているような、簡単にいえばあまり柄のよくないところ。大阪というのは水の都なので、水路が通っていて、昔このへんで荷物を揚げ出ししてたわけですよね。
これが外観です[図1]。外から見るとトタン張りの完全なバラックです。これは反対側です[図2]。裏は川というか運河で、堤防沿いに建っている古い倉庫です。これは友達の建築士が実測してくれた図面です[図3]。けっこう広いです。1階と2階をあわせて100平米くらいありますかね。築50年くらい。戦後すぐの建物だったらしいです。これはちょっと昔の写真で、去年の春の段階で、まだ内装ができていないときです[図4]。全部バラバラに解体して、柱と梁以外は全部改装しました。だからこのときは床もない状態ですよね。天井の部分をとったので、いまは梁の部分がむき出しになっています。
服部──これはartscapeでblogをやらせてもらっていたときの記事です。僕が去年の9月くらいに山口から青森まで車で移動した際に、大阪に立ち寄って取材をさせてもらったときのものです。こんな感じで川の前にスペースがあって、こんなふうに扉とか階段とかだけ新しくつくってあります[図5,6]。この写真きれいでいいですよね。これは中ですね。なんで僕が紹介してるのかって感じなんですけど(笑)。後々田さんが写っています[図7]。右側のロフトみたいなものの上がベッドになっていて、レジデンスとして滞在制作もできます。新作の場合は、基本的にみんな滞在制作ですよね。これは2階ですね。手前に穴が空いて、はしごで下に降りれます[図8]。
後々田──これは2階の展示風景なんです。加藤恒一君という仙台の若い画家のドローイングの作品です[図9]。これはここで展示をやりました写真家の下道基行君の展示風景です[図10]。この本は僕個人の蔵書で、その本棚にきれいに展示しているわけです。中もトタンですので、一般的な展示スペースのような白い壁ではないです。これはなんかもうわけわかんない写真ですけど、東京の若いサウンドアート系の作家3人(大城真+川口貴大+矢代諭史)の展覧会の様子で、こういうインスタレーションとかパフォーマンスとかライヴとかもやれます[図11,12]。
はっきりいって汚いだけなんですけど、歴史があって普通の建物とは違う味を持ってる。それをできるだけ活かして、外は全然手をつけずに、展示できるようなスペースに中だけ改装したということになります。それからちょっとした滞在スペースもあって、ひとりふたりなら滞在制作ができるようにしてあります。ギャラリーとは別にレジデンス・スペースがあってという構造はよくあると思いますが、まったく一緒のところは少ないと思います。それは改装の肝にはなっています。
私としては、本来は普通のコマーシャルギャラリーと同じように作品を売って、それでやっていくというのが設立当時の目標だったんです。ところが、なぜかこのデザインというか、環境というか、見た目によって、誰もそういうふうに見てくれない。普通のコマーシャルギャラリーとして誰も見てくれないというところがありまして、いままで何点かは知り合いには売れているものの、作品を売るのが非常に難しい状況です。
運営方針はもちろん、スペースをこれからどういうかたちで維持していくかということが、どのスペースさんでも一番重要なことだと思います。その点では、私のところはあまり良い例ではないということですね。もちろん現代美術におけるそういうスペースの意味とか役割とかっていう大事な話もあると思うんですけど、それ以前に、私にとってはまずはとにかく維持していくことが切実な問題になっているわけです。だから、これからどう続けていくのか、レンタルスペースみたいなかたちで回していくのかとか、いろんなことを考えていかなければいけない。
いまやっているのは、私が東京でやってきたことの正反対のことなんですよね。大阪のある意味場末で、ひとりで掃除洗濯からなにからなにまでやって運営しているわけですよね。でもどっちがよいということでもなくて、それが私の生きてきた過程です。福井やICCでの経験がなかったら、いまはないと思うし。なにもなくこういうものができたわけではないということです。成立の契機というか、立ち上がり方というところを一番理解していただきたいから、今日はちょっと過去の話もさせていただきました。まだ1年経ってないですけど、それなりにやった人とか来た人に喜んでもらって、「頑張ってくれ」とか言われることは非常にありがたい。特に半数くらいは大阪の地元の一般の人なので、非常に心強いですね。とりあえず私を含めた梅香堂の紹介の話はこれでいったん終わりにしたいと思います。つまらない話でしたが、長い間どうもありがとうございました。