Dialogue Tour 2010
作家との関係
服部──梅香堂のすごくいいところは、後々田さんがずっとそこにいるところだと思います。徹底的に付き合ってるじゃないですか、これはおもしろいなと思います。だから作家もいい作品つくっているし、展覧会がすごくおもしろいんですよ。下道君にしても、その後にやった多田君もいままで見たことがないような新しい作品になっていて、ある種の覚悟のうえで経験豊富な後々田さんみたいな人が付き合うと、こういうことができるんだと、僕はびっくりしました。
後々田──うん、多田君も大変だったけどな。広島の若い画家なんですけど、彼は結局3カ月いたからね。
服部──3カ月ですか。Nadegataが青森にきてちょうど3カ月になろうとしていますけど、そう考えるとすごいですね。多田くんがこんな展開でこんな作品を制作するのは見たことがないです。
後々田──この場所に合わせて作家がプランニングというかデザインをしてくるんですけど、実際はここで全部つくっているわけですよ。たとえば、これは柱の作品なんですけど、本当に床から天井までの作品なので、もうここからどこにもいけないんです[図13]。だから現在、これは壁のほうに寄せて常設化してしまっているんです。彼はコマーシャルギャラリーでもやってきたキャリアがあるので、作品として売ったとしたら本来それなりの値段になっちゃうものなんですけどね。誰も買ってくれないからこういうのも全部そのまま残っちゃう。結構ショックでしたけど。
服部──売れなかったのが?
後々田──うん。多田君にも申し訳なかったし。
服部──僕も行ってみてすごくいいスペースだと思ったんですけど、売れるのを狙っているというのは半分冗談でいっているのかなと思っていました。
後々田──うん。やっぱり服部君でさえそう思うわけですからね。
服部──でも、スペース自体がおもしろいし、後々田さんと話しながらつくっていくと、売るという感じよりも、ここでどう見せるかということを考えざる負えなくて、その場所ならではの作品になるんでしょうね。だから本当にいい個展が見られる。最近は大きい美術館でおもしろいと思った展覧会はそんなにないですけど、こういう場所だったりとか、作家が自分で選んだ場所でのすごく小さな展覧会だったりとかのほうがおもしろいなと思います。
この企画は、毎回トークのキーワードが出されていて、「キュレーション2.0」「ロスジェネ世代のアート」というのがこの回のタイトルになっています。キュレーションってなんなのかといわれても答えにくいんですけど、僕は元々建築を専攻していたのでそこに引きつけて言うと、ちょっとおもしろそうな場所を見つけて、その場所を使う口実みたいなことでもなにかしらを企画すると、人が集まってきてくれるのはおもしろいなあと思います。たとえば、今回は僕がこの企画を考えたわけではなく、artscape側から企画がやって来たわけです。でもそういうことが起こるきっかけは、場所があったりとか、人がいたりとか、ほぼそれだけだと思っていて、そういうのを組み立てていくのはすごくおもしろいなと思います。それが自分のなかでは建築的な作業だとも思っていて、キュレーションといわれるとちょっとわからないんですけど、アクションというか、行為だったり出来事だったりを発生させていけるようなきっかけとしての場をつくっていきたいというのが、こういうことをやっているひとつの理由なんです。
後々田さんがICCまでにやっていたこともいまやっていることも、基本的に“キュレーション”で、生きている作家と関わって、ものをつくって、見せるというところでは変わりはないですよね。ただ、ここにきて決定的に変わったことってなんですか。お金の話はもちろんあると思うんですけど、考え方として変わったことはありますか。
後々田──改めてそういわれると難しいね。両方とも同じ想いでやっているような気がするし。ただ、環境は180度違うから、同じようにはならないっていうことなのかもしれないしね。もちろんICCにいるときも若い作家なんかも取り上げているし、巨匠もやったけど、いまとそんなにやっている意識が違うのかといわれると、どうなのかなあ。でも、コマーシャルギャラリーとしてやろうと思っているときは違う。売れる作品をやらなきゃいけないわけだから。ある程度売っていこうと思ったら、違った世界に入っていくわけだし、僕なんか税金や会社のお金でしか仕事をしてこなかった人間だから、やっぱりそのへんの厳しさというかバランス感覚というのは違うわけですよね。いわゆるコマーシャルギャラリーの持っている厳しさみたいなところには、全然到達できていない。だから、そこは変わらないということが問題なんだと思うけどね。極端な話、「富士山の絵とか売らなきゃいけない」とか言われるわけですよ。それは確かに正しい一面で、でもやっぱりすごく大事にしなきゃいけない譲れない部分もあって、だからいつまでたってもアマチュア気分が抜けない。
服部──それは、いい意味でということですか。
後々田──いや、よくないと思うよ。もう呆れられているかもな。
会場A──お二人のアーティストとの関係ってどういう関係なのでしょうか。普通のいわゆる商業ギャラリーというのは、作家をマネジメントするとか、所属というかたちをとってやっていくと思うんですよね。
後々田──まあ僕もね、契約とかをカッコよくしたいんだけどね(笑)。金もないしさ、そんなことできないんだよな。だってそのためにはある程度ちゃんとペイできないと駄目じゃん、やっぱり。だからそんなふうに言えないしさ。ただ、言ってはいるよ、「来年またやろうな」とかさ。そういうのはあるけど、そんな専属とか契約とかはとてもじゃないけどできないね。でも、貸しスペースじゃないから、そこでやった作家とか作品に対してある程度の責任を取っていくという態度は必要なわけで、契約とかいう方法以外で、継続的にそういう人たちを紹介していきたいと思っているけどね。服部くんとはやっぱりそれはたぶんちょっと違うと思うわ。つまり、そういうことは必要ないもんな。あるかもしれないけどプッシュするとかとは関係ないということなんだよね、MACのやっていることは。
服部──どうなんでしょうね。まあそこまでは考えてないです。別に悪い関係をつくりたいとも思わないし、ここでなにかやりたいと言ってくれる人がいたらそんな嬉しいことはないですよね。そんなことはいままでないですけどね。
会場A──でも今後あるかもしれない。
服部──そうですね。まあ別に、飲みに来てくれるとかそのくらいでもいいです。
会場A──たとえばここの場所だと、青森に遊びに行きたいから作品をつくるとか、ひとりのアーティストが毎年来てひとつずつ作品をつくるというプロジェクトとして、毎年つながっていくというスタンスでの展開の可能性があるのかなと思うんですけど。
服部──来年もやろうよって気軽にいうのは簡単だけど、じゃあそれでお金が払えるかというとわからないわけですよね。僕はお金を持っているわけじゃないから。「今年はお金が取れちゃったよ」みたいなのはあるかもしれないけど、けっこう流動的です。実際来年ここがどうなっているかわからないっていうのはあります。なので「来年、絶対一緒にやりましょう」までは言えないですね。僕の場合は。ただ、「どんなかたちかわからないけど、いずれなにか一緒にやりましょう」っていう意思表示くらいはしたいですけど。
後々田──それは俺もあんまり変わらんけどな。マジで、もうなにかあったらすぐ閉鎖だから。でも、来年の春くらいまでのことは一応考えてるよ。
服部──すごい。
後々田──だから必ず「残っていたら」「存在していたら」みたいなことは言ってある。やっぱりそれくらいはね。だってそうじゃないといい展覧会はできない。いくら小さいところでも、明日やりましょうというわけにはいかない。