Dialogue Tour 2010

第3回:MAC交流会[ディスカッション]

宮城潤/会田大也2010年10月01日号

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勝手に起こっていくことが面白い

会田──プロジェクトにおいて、全体をどのくらい把握していたいか、あるいはオーガナイズにおける責任の取り方はこうあるべきという社会的な慣例と、自分たちなりのオーガナイズの方法論との折り合いをどうやってつけていますか。たとえば、さきほど紹介してもらったWanakioでは沖縄全島にプロジェクトが広がったそうですね。たぶん細かなことを含めると、通常の意味の「責任者」という立場の人は居なくて、誰一人として全体を把握できていないけどそれでも充分に内容としては成立してしまっている。

宮城──Wanakioというプロジェクトは、その後、2005年と2008年にもやっています。2008年は沖縄本島の中でも、栄町市場を中心に、那覇市内でもいくつかの会場があって、南部のほうであったり、宜野湾市や沖縄市、車で3時間くらいかかるような場所まで会場が広がりました。じつは3時間かけて行ってもそこにある作品は1点だけなんです。東村、やんばるといわれる沖縄北部の山の中で、米軍の演習場があったり沖縄の大事なダムがあったりするような場所です。僕もここだけは展示が終わったあとに行きました。なので、僕一人では到底把握できません。
 たとえば、2005年のときは、半年以上前から関わっている人たちと毎回ゼミみたいな場を設けて、いろんな意見を出してもらいました。バトンゼミということもやったんです。それぞれがトーカーになって話をして、バトンを渡していってというやりかたです。アーティストの話を聞くだけじゃなくて、それぞれが主体であることを発信する場としてトークをしながら、いろんな意見を出していって、みんなでWanakio 2005をつくるということを試しました。その後は2008年まで間があくんですけど、僕もティトスさんもそれぞれ仕事は別にあるので、自分たちだけが頑張って引っ張ろうとはしないわけです。でも時間があくと、以前に関わったボランティアの方やアーティスト、関係はずっと持ちながらも僕らとは別のところでアートスペースを立ち上げた人たちから「今度やるんだったら協力したい」とか「やらないの?」という声が高まってきます。2008年はそれで実施しました。僕とティトスさんがやろうと言っていない状態で始まったりしているんです。そういう感じで動いてきているので、誰かが主導権を握ってある方向に導くのではなく、それぞれが主体的に関わって、その代わり責任も持って欲しいと思っています。そういうプロセスを経てかたちになっていくということを最初からイメージしてやっていました[図9]
 2001年の前島3丁目ストリートミュージアムは大失敗したんです。作家も場所を提供してくれた店主もお互いに“してあげる”という消極的な気持ちがあったことが理由で、やっぱり関わる人には「主体的に自分でなにか実現していく」意識を持ってもらわないとどうしようもないということを学びました。それに対して僕らはコントロールするような立場にはないので、そこでお互いに相談できればいいなと思っています。そういう感じで、どこでなにが起こっているのかまったくわからなかったりすることも多いです。プロジェクトのなかで、ディレクターが2人とも把握していないことがあちこちで起こるんです。でも勝手に起こっていくことがやっぱり面白いじゃないですか。神経質にリスクばかりを細かく考えていくと、たぶん怖くなってそういう体制をつくれないですよね。


9──Wanakioのためのミーティング(左=2005、右=2008)

会田──本当は面白いことが起きているとみんなが思っていても代表とか責任とかを細かく追及していくことによって、誰もそういうことをやりたくなくなりますもんね。

宮城──それよりは楽しいことが起こることを想像していたい。どんどんいろんなことが起こって飛び火していくほうが面白いと思っているので、管理しようという気はまったくないです。
 公民館の話でいうと、朝食会というものから「100人でだるまさんころんだ」が生まれましたが、朝食会というのも僕がそれをしたいと思ったわけではなくて、誰かがそういうアイデアを出して、これだったら頑張らなくても実現できそうだねということで始めて、継続させていきました。それは人が出会う場なので、「これを続けていったらなにかが起こるかもな」という予感はありますよね。だから、そういう場をまず担保する。「100人でだるまさんがころんだ」をやった会場は、すぐ側が海なんですけど、開発で道路が拡張し公園も駐車場になっていくという計画があります。僕は公民館に勤めている関係でそのことを知ったんだけど、たぶん一般の人はあまり知らないという状況でした。あの空間はとてもいいのにほとんど使われていないからもったいない、なくなる前になにかしないとなと思っているときに、たまたま朝食会に来ているメンバーのひとりが、あの公園でなにかしたいと言ってはじまったんです。
 「100人でだるまさんがころんだ」という企画に決定する前にワークショップをして確認したのが、“頑張らないこと”なんです。頑張ると疲れるので、続かない。イベントって、立ち上げて、頑張って成功して、終わったら感動して泣いてしまうことがあるじゃないですか。泣くことなのかなって思って(笑)。僕らが求めているのはそこじゃないだろうということで、“頑張らないでおこう、楽しもう”ということになりました。人を楽しませるために頑張りすぎて自分たちが楽しめないなんてこともよくある話なので、それはやめようと。だから、雨が降ったら中止といえるくらいの軽いイベントにしようというスタンスにしました。ライブイベントなどで音響機材をセッティングしてそのあとに天気がくずれたら、もうどうしようもないのでそんなのはやめよう、その場で「やる」とか「駄目」とか判断できるものにしようということで、いろいろ話していたら、だるまさんが転んだになったんです(笑)。バカバカしいことでも、大勢で本気でやったら、やっぱり楽しいんですよね。大勢でやるのがミソです。

会田──100人集まったんですか?

宮城──たぶん関わったのは130人くらいです。

会田──口コミなんですか? 告知はされていますか?

宮城──告知はしましたよ。第1回目のときは告知もちゃんとやって、新聞折り込みに入れてもらったりしました。あとウェブ新聞に取り上げてもらって、そこから広がったり。これまで3回やっているんですが、3回目はツイッターのリツイートで知って参加したという方も多かったです[図10]
 はっきりいって、このへんは僕はほとんどコントロールしていないです。参加者自身が楽しむために勝手にいろいろ仕込んでくれる。だから勝手に広がっていくんだと思います。公立の公民館でチャレンジングなことをすると「大丈夫?」と心配されることもあります。でも、失敗したら怒られればいいんですから。もちろん人の命に関わるようなことは別ですけど、本当は誰も駄目と言っていないのに自分たちのなかで勝手にそう思っていることとか、自己規制でおさえていることって多いと思うんです。本当にこれはどう考えてもまずいというところにいくまでのグレーゾーンってとても大きいんですよ。これを広げていかないと窮屈になっていくだけなので、ちょっと飛び越えそうかなっていうところまでやってみて、駄目だったら怒られる。そうしたら「ここからは駄目だけど、ここまではOK」っていうボーダーが見えるわけだから。それをちょっとずつ繰り返しながらやっています。


10──100人でだるまさんがころんだ!

[2010年8月2日、山口、Maemachi Art Centerにて]

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  • Dialogue Tour 2010とは

宮城潤

1972年生まれ。前島アートセンター理事、アートNPOリンク理事。沖縄県立芸術大学院修了(彫刻)。2000年「前島3丁目ストリートミュージア...

会田大也

1976年生まれ。ミュージアムエデュケーター。東京造形大学、IAMAS(情報科学芸術大学院大学)卒業。2003〜2014年山口情報芸術センタ...