Dialogue Tour 2010
アーティストのために時間とお金を使う
中崎──遊戯室は僕と遠藤君が自分で家賃を払っていますが、財政的には大学のときとかなり近くて、いまは展覧会ごとに2万円の予算で作家にお願いしています。1万円でDMを作成してもらって、搬入と搬出に東京から2回来るための交通費1万円というわけです。僕自身、地域アートプロジェクトに参加することが多くてそれ自体は好きなんですけど、どこかにお金の出所があって、その要望に応えなくてはいけないノルマが付いてくることがあります。それが作品にとってよくなることも足かせになることもあります。だからここではすべて自腹。気兼ねなく、売る必要性や地域や主催者のことをあまり考えずに作家自身のために制作してほしいと思っています。僕らは一緒に仕事したいと思うアーティストのために、時間とお金を使う。お金はちょっとしか出せないんだけど、作家にとっていい仕事ができる環境をつくる。そんなことを遠藤君とスタートのときに話していました。
スペースを始めたときに、ここの紹介を兼ねたプレゼンファイルをつくる機会があって、いまお話したようなことを含めて二人でぱっと考えて箇条書きにしました。それをいまでもこのスペースのコンセプトとして使っています。いくつかピックアップして説明します。
「『地域』や『社会』に「貢献する」ようなアートはやらない」というのは、それが嫌いなわけではなくて、そういうものを後回しにして純粋にいい作品をつくることを前提にしたいということです。結果的に地域や社会に貢献することができたらもちろんうれしいとは思います。それから、浪人時代に水戸芸術館によく行っていて、地域に媚びないというか、「絶対これ地域の人にわかんないでしょ」というような、でもすごくいい作品を展示しているイメージがあって、その姿勢はリンクしたいなという希望もあります。
「基本的に自腹」。現代美術が好きな友人知人が、地元に戻ってそういうスペースをやりたいと思って始めた事例がいくつかありました。でも、東京・大阪・京都くらいの規模の都市でなければ、貸しギャラリーの場合、結局借りる人がいなくて、「現代美術だけじゃ無理。工芸とか雑貨とか違う分野もやりましょう」みたいにだんだんスペース自体が当初望んでいた方向でなくなっていくケースを目にしていて、それだったら小規模でも自腹で運営して、貸したり売ったりせずにできる限り継続したい。
「アートの王道。作品は厳しく。空気は緩く」。ホワイトキューブの空間は現代美術の作品をしっかり見せる場所にしていますが、日頃、現代美術と接点が少ない人も来るので、入口にこたつがあってゴロゴロしたり、お茶でも飲みながら展示を見た人とのんびり話したりできる場所にしています。カタログや画集はできるだけシェアスペースに置くことにしていて、水戸はそういう本を見られる場所がそんなにないので、学生が来てダラダラ読めたり、話したりできたらいいなと思っています。緊張感のあるギャラリースペースとそれ以外のリラックスしたスペースが共存している感じがいいなと。
「現在のマーケット主導型の風潮に叛旗を翻すべく、売ることを目的とした作品は扱わない」とありますが、これは別に売れたら売れたでうれしいし、さきほどの地域とか社会の話とかなり近いニュアンスですね。
「ちなみに宿泊可能」。ホコリだらけですけど、布団があって宿泊できます。普通の住宅のようにお風呂もあるし、台所もあるので自炊もできます。水戸は、水戸芸術館に来ても東京からなら日帰りできるという距離感ですが、一泊して、僕らのまわりの友人とか街の人たちが少しでも居て、一緒に酒を飲んで知り合いになったりすると、場所に愛着が湧いたりするじゃないですか。たとえば今日もCAAKにいらした方々と飲み友達になったりしたら、次に金沢に来たときに美術館だけじゃなくて、連絡してみようとか、徐々に縁ができていきますよね。目の前の人に愛着が湧くから、その土地に愛着が湧く。そういう感じっていいと思います。
キワマリ荘を始めた有馬さんは去年から千葉県の柏に拠点を移していて、現在はSPAMの五嶋さんが管理人を兼ねています。遊戯室は僕と遠藤君による運営が2007年から継続していて、年間3〜4本のペースで展覧会をやっていています。土日オープンで1本2〜3カ月間くらいです[図13,14]。
人が繋がる場づくり
中崎──居酒屋「中人」のほうは、遊戯室でパーティをやるときに僕が料理をつくったりすることを、「今日は“中人”営業します」といったように気分に任せてやったり、他の場所でのイベントで人が集まれる場をつくるときに「中人」名義でお酒を出したりしていました。大がかりなものだと2008年の広島アートプロジェクトで、総合ディレクターの柳幸典さんからの依頼で作品とカフェがコラボレートしているものを出品しました[図15]。このときは2週間くらい営業して、スタッフの溜まり場になっていて、オープニングやクロージングのイベントなどもやりました。看板作品も結構しっかり展示していて、広島で50人くらいの方と契約を交わして制作しました。このスペース全体の会場構成や中人の運営、イベントの企画運営をしていました。このときは僕もずっと現場にいたので、スタッフの方たちや作家、キュレーターなど毎回テーマを変えて、広島アートプロジェクト全体を検証したりするトークイベントを会期途中から8日間連続でやりました。こうした拠点があると情報が集まってくるので、そこにいるからこそ見えてくる全体というものがあっておもしろかったです。「中人」だけじゃなくて、アートプロジェクトに作家としても参加していたので、全体を見て、自分の作品の位置づけを決定していく醍醐味がありました。
去年は、大阪で水都大阪2009というプロジェクトがあって、150人ほどのアーティストが、堂島、中之島付近にて2カ月間入れ替わり立ち替わりで同時多発的にワークショップを行ないました。金沢21世紀美術館でもワークショップをしたことがあるKOSUGE1-16というアーティストがメインアーティストとして参加していて、仮設の建物を2軒ほど建てて、巨大サッカーゲーム「AC-中之島」を運営しつつ、「スキンプロジェクト」というサッカーのスパイクシューズをリノベーションするプロジェクトをやっていました。その企画に僕がなぜかディレクターとして呼ばれて、彼らとずっと一緒に仕事をしていました。その会場では、みんなが一緒に滞在する場所もないし、作家が多すぎたこともあって、スタッフもゆっくりコミュニケーションをとれないという感じで、僕たちのチームだけでも50人くらいのボランティアスタッフがいたこともあり、会場の近くに物件を借りて、昼食の賄いをつくったり、夜飲んだりレクチャーをする場所として、2カ月間「中人」をやりました。プロジェクターが1台あったので、知っている作家がいたら、「ちょっと明日やろう!」と声をかけて、結局12回くらいイベントをやりました[図16-19]。
鷲田めるろ──KOSUGE1-16はCAAKにも長い間泊まっていました。
中崎──水都大阪に参加していた藤浩志さんは、大阪で拠点としていた場所に風呂がなかったので、毎日お風呂に入りに来たりもしていました。僕は関西のアーティストはあまり知らなかったのですが、噂で広まっていろいろな人が来たり、水都大阪を観に来た人も交えて、人と人が繋がっていきました。初めはビジュアル面を含めて全体を作品にしようと思っていましたが、会場付近で借りられるところがここしか見つからず、きれいな部屋で壁に打ち込みなどができなかったので特に装飾とかビジュアルづくりをしなかったんです。そうしたら逆にそのことで機能だけがより浮かび上がってきて、それはやってみてからの発見でした。