促戸とは、瀬戸、つまり川の狭まった場所。
『出雲国風土記』 嶋根郡条には、 「朝酌促戸」として大橋川周辺の人びとのようすが記され、川の渡し場を「朝酌渡」(矢田の渡し)と呼びます。
奈良時代には出雲国庁から隠岐国へいたる古代官道「枉北道」とまじわり、水陸両交通の要衝として栄えました。
松江市朝酌町の大橋川北岸にあたる朝酌矢田Ⅱ遺跡では古代の礫敷が検出され、朝酌渡にかかわる施設があったと考えられます。
古代官道にともなう渡し場の発見は全国的にも貴重な成果であり、古代の交通を考えるうえでも注目される遺跡です。
展示資料は30点と小規模なものではありますが、縄文時代の石器や弥生土器、古代の須恵器、中世の下駄、陶磁器など、さまざまな時代にわたってこの遺跡が人びとの往来が交わる土地であったことを物語る逸品揃いです。企画展示室ではなく、常設展示室の一角でささやかに展示いたします。ぜひご観覧ください。