書の鑑賞や、学書の手本のためにつくられた名跡の複製本を法帖といい、なかでも多くの名跡を集めたものを集帖といいます。中国では宋代の『淳化閣帖』を始め多くの集帖がつくられ、日本に伝えられました。
 江戸時代、唐様書道が流行すると、日本でも和様の法帖だけではなく中国の名跡を刻した法帖がつくられるようになりました。日本で制作された集帖として、『岡寺版集帖』、『垂裕閣法帖』などが挙げられます。なかでも『岡寺版集帖』は、当時刻帖制作の第一人者であった韓天寿が関わったもので、版木が現存することでも貴重です。
 韓天寿は、三重県の岡寺山継松寺で、住職無倪とともに集帖制作に心血を注ぎ晩年を過ごしました。本展覧会では、継松寺に残る『岡寺版集帖』を中心に、それに先行する『酔晋斎法帖』を展示して韓天寿の業績を紹介します。
 現在は印刷技術が発達し、精巧な写真で多くの名跡を観られるようになったため、集帖を手本として臨書することは少なく、顧みられなくなったものもあります。しかし、容易に名跡を観ることができなかった江戸時代の書人がどのような法帖を観て書を鑑賞し学んだかを知る重要な資料といえるでしょう。
 韓天寿は私財をつぎ込み、大変な情熱をもって、当時手に入れることが叶う最上の中国の法帖(集帖)・碑拓本を収集し、法帖制作に生命をかけました。韓天寿が刻帖の基としたのは、どんなものだったのか。制作過程を丁寧に追い、その秘密に迫ります。日本の法帖、その基となった中国の法帖、さらに遡って原碑拓本を見比べて中国の名跡を味わい、奥深さを感じてください。