明治から昭和にかけ、名古屋市東区付近は多くの絵付け工場や貿易業者が軒を連ねる日本最大の集積地として輸出陶磁器産業繁栄の起点となりました。
 明治42年には日本陶器合名会社内に「技芸科」が設置され、絵画科・彫刻科を備えた履修体制はある種、社内美術学校の先駆けとなっていきます。当初の「(食器づくりのための)従業員の技芸の進歩」という指導方針は、次第に「絵画・彫刻に関する技術と教養の育成」へとその範囲を広げ、技芸科生による作品展や図案展が毎年開催されるようになりました。そうした環境の中から、市ノ木慶治のような中部画壇でも活躍する職工も現れます。
 本展では、明治から昭和、そして現在も製陶会社で連綿と引き継がれる絵画・彫刻技術の精華を一堂にご覧いただきます。


【市ノ木慶治 (しのきけいじ) (1891-1969)】
森村組を代表する陶磁器絵付師で、帝展・日展の中部画壇でも活躍した。絵付けした作品に個人の名前を書き込むことが許された初めての画工といわれ、手掛けた作品から「薔薇の市ノ木」とも呼ばれた。