本展は、20世紀を代表するイギリスの陶芸家ルーシー・リー(1902-1995)の作品を国立工芸館に寄託された井内コレクションを中心に約120点でご紹介します。
オーストリア・ウィーンで生まれたルーシー・リーは、ウィーン工業美術学校で轆轤ろくろに出合い魅了され、陶芸の道へと進みます。作家としての地位を確立しながらも、1938年に亡命を余儀なくされると、作陶の場をイギリス・ロンドンへ移します。ウィーン、ロンドン、当時の美術のエッセンスを吸収し昇華した彼女の作品の魅力。それは、しなやかながらも芯を感じる優美な形、色彩、といえるでしょう。
私たちを魅了してやまないリーの作品、その造形の源泉は何であったのか。本展では彼女が出会った人、もの、場所、そして時代背景を交えながらその作品を紐解きます。ウィーンで出会ったヨーゼフ・ホフマンやロンドン時代のバーナード・リーチ、ハンス・コパー。制作初期から円熟期まで、彼女と交流のあった作家たちの作品もあわせて展示することで、その造形の根源へと迫ります。
また、これまでリーチとの関わりの中で捉えられてきた日本を中心とした東洋のやきものとの関係性も見直します。東洋のやきものへの関心が高まっていた20世紀初頭、リーチを筆頭にイギリスの作家たちは日本や中国のやきものに大きな影響を受け制作していました。その中心地となり土壌が形成されたイギリスで、彼女が、何をみて学び、受け入れたのか。洗練された佇まいの作品の内にある東西をまたぐ複層的な造形を知ることで、作品に表された彼女の信念と凛とした姿が浮かび上がることとなるでしょう。

【展覧会のポイント】
▶10年ぶりの大回顧展
最後に開催されたルーシー・リーの大型回顧展は2015年でした。本展は以来10年ぶりとなる展覧会です。
国内の貴重なルーシー・リー作品が一堂に会するこの機会をお見逃しなく!

▶ヨーロッパ、日本、双方の視点からルーシー・リー作品を紐解く
新たな美的価値が創出されたウィーン、日本をはじめとした東洋陶磁に範を求めたスタジオ・ポタリーが活動したイギリス。
洋の東西が入り混じる背景のもと制作されたルーシー・リーの作品を生きた時代、出会った人から紐解きます。

▶日本で人気の高いルーシー・リーの造形世界にふれる
ルーシー・リーの作品は、1989年に草月会館の展覧会で本格的に紹介され、2010年、2015年の大規模展覧会を経てファンを増やしていきました。以降ファッション誌やライフスタイル誌でも定期的にとりあげられ、その人気は高まるばかりです。繊細かつ優美な造形世界をお楽しみください。

【展覧会構成】
第1章 ウィーンに生まれて
1902年に生まれたルーシー・リー(旧姓ゴンぺルツ)はウィーン工芸美術学校に入学し、ミヒャエル・ポヴォルニーに陶芸を学びます。彼女が制作を始めた20世紀初頭のウィーンでは純粋美術だけでなく、日用品を通して高い美意識を表現したウィーン工房のアーティストたちが活躍していました。
本章では、ウィーン工房の創設者のひとりであるヨーゼフ・ホフマンをはじめ、同時代に活躍した作家、そしてこの時代の空気を吸収して制作されたルーシーの初期作品を紹介します。

第2章 ロンドンでの出会い
1938年、ルーシーはナチスの迫害を逃れるためロンドンへと渡り、新たな環境で新しい人々と出会います。例えば、イギリス陶芸界の中心的役割を担っていたバーナード・リーチ、そして、ボタン制作のため工房に参加した、陶芸を学びはじめたばかりの彫刻家志望の青年ハンス・コパーです。本章では、ロンドン時代に制作されたルーシーの作品に加え、渡英後の彼女に少なからず影響を与えた彼らの作品を紹介します。

第3章 東洋との出合い
ルーシーが渡英した当時、バーナード・リーチをリーダーとするスタジオ・ポタリーの陶芸家たちは東洋陶磁に範を求めていました。また、1952年に開催されたダーティントン国際工芸会議では、濱田庄司らと交友を深め、のちに一緒に個展を開催します。
本章では、リーチや濱田らの作品とともに、東洋との関わりを紹介します。

第4章 自らのスタイルへ―陶芸家ルーシー・リー
本章では、1970年以降に制作された鉢と花器を紹介します。小さな高台やすっきりとしたライン、マンガン釉や掻き落としなど、現在私たちが彼女の作風として認識している様式は、この頃に確立されました。釉薬と形態、そして装飾が一体となって洗練された作品をご覧いただきます。