本展は、1968年から1971年にかけて全日本学生写真連盟(全日)のメンバーによって広島で展開された集団的な撮影行動〈8・6広島デー〉を紹介致します。全国の高校、大学の写真部を中心に組織された全日は、1960年代半ばに写真評論家の福島辰夫を実質的な指導者に迎え、日本社会の大きな転換期に、学生運動や公害などの社会問題を主題に据えた活動を展開し、展示と出版活動を行いました。

〈8・6広島デー〉とは、原爆が投下されてから20年余り経過し、急激な復興が進む広島の街とそこに生きる人々の生活にカメラを向け、改めて広島とは何かを問う行為を当時の参加者たちが呼称したものです。復興した都市「広島」でもなく、被爆して記号になった「ヒロシマ」でもなく、自身が学び行動し認識するものとして発音記号で表したのが第三の広島、つまり「hírou-ʃímə」です。

福島は学生たちに言いました。「本当の危機は闘争の現場にはなく、別のところにある」そして、それは広島であると。その言葉が学生たちを広島に向かわせました。11回に渡って撮影が行われ、撮影部隊に、現地で宿泊手配等を担当する学生も加わりました。1969年には、それまでの写真を広島流川教会と、銀座ニコンサロンで展示。1972年には、写真集『ヒロシマ・広島・hírou-ʃímə』を出版。戦後復興の名の下に変貌していく街や人々の生活、8月6日の祈念式典、灯籠流し、整理されゆく原爆スラム、広島平和記念資料館で展示されていた原爆投下当時の写真、遺品などの写真が収録されました。広島の全日のメンバーが同時期に撮影していた広島大学の闘争の写真も最終的にレイアウトに加えられました。

学生たちは〈8・6広島デー〉の総合アピールをガリ版で刷り出し、撮影後には報告書を作成し、全体の趣旨や、その沿革、撮影行動の詳細を記しています。被爆者にカメラを向けるときの葛藤や、地元の人々との間で起こった拒絶と受容の繊細な現場などが率直な体験記に残されています。〈8・6広島デー〉の撮影に関わった学生独り一人に、それぞれの体験と想いがありました。

この撮影行動は、写真集『ヒロシマ・広島・hírou-ʃímə』に纏められましたが、この写真集だけが〈8・6広島デー〉の全貌を伝えるものではありません。会場では、写真集に収録された当時のプリントとともに、関連する記録資料なども展示致します。終戦80年の節目に開催される本展が、全日の〈8・6広島デー〉とは何であったかを考察するとともに、現代の私たちにとって「hírou-ʃímə」とは何かという問いを改めて発信する場となれば幸いです。