隔たりと現われ

「Le moment où je parle est déjà loin de moi. ──
私が話す瞬間は、すでに私から遠く離れている」
── ボワロー

私がシャッターを切ると、液晶ファインダーの中で世界は一瞬、静止します。しかし、ファインダーから目を離すと、さきほどまで光を受けてきらめいていた葉は、風に吹かれて遠くへと散っていきます。次の瞬間、足もとの苔を包む柔らかな光に目が触れ、そしてまた、遠くの森へと視線が移っていきます。

人間の知覚は寸断されることなく、ひと続きに流れています。私たちは、知覚される〈いま-ここ〉が時間軸上の一点ではなく、豊かな幅や奥行きをもつことを、直感的に知っています。私がある光景をとらえるために、2枚あるいはそれ以上の枚数を必要とするのは、そのためです。すなわち、「時間はすべてが一挙に与えられるのを妨げ⋯時間は遅延させる、というよりむしろ時間とは遅延である」(ベルクソン)からです。世界はつねに隔たりとして現れるのです。

世界が姿を現し、そしてまた消えていく。その息づかいを目で追う。〈世界〉に参与することを許されていると実感できるわずかな身振り、それが私にとっての写真なのです。